遠藤潔の活動報告

第十八代 遠藤宗家 遠藤潔

橋本直子 神田岩戸屋社長

2020年09月11日
遠藤 潔 第十八遠藤宗家の母方親戚である神田岩戸屋の橋本直子社長は、フリーペーパー『うれし泪』を創刊した。タイトルの意味は、「人は嬉しいと感動の泪を流す」気持ちを表現した。

橋本社長は、創刊の理由として「医・食・住を通じて、当たり前のことが当たり前にできる環境を推進すること。それは、『適切な医療が受けられる』『食事がおいしい』『居心地がいい』等のごく普通のこと。これらを実現することが、人の尊厳につながる」と述べた。その必要性を感じたのは、31歳で銀座の飲食店経営者となり、48歳でステージ4の乳がんを発症した。6ケ月の抗がん剤治療を経て、術後に放射線治療から分子標的薬の服用をしている自身の経験からである。

橋本社長は「副作用で食欲減退となったことから、食べることは生活の基本であり、人生の大きな楽しみの一つであると実感した」と語った。しかし、薬の副作用があるために油物と生物を食することは、難しい状況であった。

ある時、串揚げ若職人との出会いが、ステージ4の身体でも串揚げを美味しく食することができた。橋本社長は「若職人が人生をかけて、いつかは自分のお店を持ちたいとの夢を聞き、やる気に共感した。やがて、若職人と串揚げキッチンカーで、皆様へ美味しい串揚げをお届けしたいとの気持ちになっていた」と当時を振り返った。

創刊号の『ガンと共に』特集は、「がんを克服し、大切な人に幸せになってもらいたい」と語る、橋本社長の決意が感じられる。社名である神田岩戸屋は、母方祖父母がかつて神田で営んでいた商人宿の屋号を理念と共に継承している。

父方は、士族。橋本の語源は、橋のたもと、橋詰で、橋はもともと国の内外を渡す要所である。一種の聖地であるが、後に商業や政治上の重要点となる。橋本氏は全国的に分布しているが、西日本に多い。和泉国日根野郡橋本の発祥が、橘姓の和田氏族と楠木氏族の橋本氏。和田・楠木氏族の橋本氏は、南朝の勤皇党として尽くし、湊川の敗戦後は関西地方の各地に散っていった。楠木氏族・橋本氏は、その一部が上野国に移って新田義貞に属したのち、由良氏に仕えた。上州にいまも残る橋本氏はこの系統とされる。また、上州には、清和源氏新田氏族大館氏の流れの橋本氏もある。尾張国中島・海部郡の豪族で、信長・秀吉に仕えた橋本氏も楠木一族の流れとされる。

清和源氏足利氏流桃井氏族は、南朝に味方して新田義貞の鎌倉攻めに参加したが、北陸で戦った一族が越前に土着した。その子孫に幕末の志士橋本左内が出ている。桃井義胤の後裔橋本直安十五世の孫にあたる。
  
他流では、下総国相馬郡発祥の桓武平氏将門流相馬氏族、岩城国田村郡橋本の中世の豪族田村氏の支流があり、それぞれ奥州各地に根付いた。ほかに山城国綴喜郡橋本の清和源氏支流、因幡国邑美郡橋本の山名氏系、備前の豪族日下部氏族、美作国英田郡の三星城主・橋本氏などがある。公家では、藤原北家西園寺家流の橋本氏が知られている。

【 由緒 】
①現大阪府南西部である和泉国日根郡橋本発祥の和田氏族
②ほかに清和天皇の子孫で源姓を賜った氏(清和源氏)
③宇多天皇の皇子敦実親王を祖とする源氏(宇多源氏)
④桓武天皇の子孫で平の姓を賜った家系である平氏(桓武平氏)
⑤中臣鎌足が天智天皇より賜ったことに始まる氏(藤原氏)


■ 橋本直子
67年生まれ、士族、00年神田岩戸屋設立。実父の信義は、ポーラ化粧品販売社長。祖父の三郎は、辯護士。親戚の長崎素介は、宮内省(現宮内庁)宮内判任官。縁戚の上島重二は、第8代三井物産社長。