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遠藤 潔
遠藤潔の活動報告
德川家広 德川宗家第十九代
2016年11月21日
德川家広 德川宗家第十九代は「德川家康公が大坂の陣を終えて、豊臣氏を滅ぼした直後の慶長20年(1615年)に、徳川家康公は禁中並公家諸法度、武家諸法度、仏教の各宗派と格式の高い神社のそれぞれとの間で定めた社寺法度を公布。さらに元号を慶長から「元和」と改めて「元和偃武」とすることで、戦乱が続いた当時の日本の未来を見据えた宣言だった」と語った。
元和は「和を元(はじめる)」と読める。いっぽうの偃武は「武を偃(や)める」である。慶長20年(1615年)といえば、応仁の乱から150年近くが経過している。当時の日本人で長期間の平和を知る者は、誰一人いなかった。仮に自分の住む城下なり村なりが平穏だったとしても、日本のどこかでは戦があり、それが巡り巡って自分の住む土地にも波及してくるという感覚は、誰もが抱いていた。
德川宗家第十九代は「戦を予感する者は警戒心を強め、武装を整え、そのことがまた戦を起こしやすくする。日本は戦乱が戦乱を生む悪循環の中『元和偃武』は、この悪循環を断ち切るという宣言だった」と強調した。
■ 德川家広
政治経済評論家、翻訳家、作家。徳川宗家19代当主、公益財団法人德川記念財団理事、大樹総研取締役・特別研究員。父は徳川宗家18代当主、元日本郵船副社長で徳川記念財団理事長。島津久光の来孫、島津忠義の玄孫、鍋島閑叟の来孫、松平容保の玄孫にあたる水戸藩藩主。
元和は「和を元(はじめる)」と読める。いっぽうの偃武は「武を偃(や)める」である。慶長20年(1615年)といえば、応仁の乱から150年近くが経過している。当時の日本人で長期間の平和を知る者は、誰一人いなかった。仮に自分の住む城下なり村なりが平穏だったとしても、日本のどこかでは戦があり、それが巡り巡って自分の住む土地にも波及してくるという感覚は、誰もが抱いていた。
德川宗家第十九代は「戦を予感する者は警戒心を強め、武装を整え、そのことがまた戦を起こしやすくする。日本は戦乱が戦乱を生む悪循環の中『元和偃武』は、この悪循環を断ち切るという宣言だった」と強調した。
■ 德川家広
政治経済評論家、翻訳家、作家。徳川宗家19代当主、公益財団法人德川記念財団理事、大樹総研取締役・特別研究員。父は徳川宗家18代当主、元日本郵船副社長で徳川記念財団理事長。島津久光の来孫、島津忠義の玄孫、鍋島閑叟の来孫、松平容保の玄孫にあたる水戸藩藩主。