1. 歴史学的・考古学的基盤:「飛鳥・藤原の宮都」の特質
「飛鳥・藤原の宮都」の文化的価値は、天皇号・「日本」の国号の成立、および律令に基づく中央集権体制の確立という「古代国家のグランドデザイン」が具現化された点にある。
【「飛鳥・藤原の宮都」の構造と政治的変遷】
• 飛鳥地域(明日香村・桜井市):推古朝~天武朝(一部を除く)の複合宮殿・官寺・墳墓
o 宮殿跡:飛鳥宮跡(伝飛鳥板蓋宮など)、飛鳥京跡苑池(極めて初期の庭園遺構)
o 仏教寺院:飛鳥寺跡(蘇我氏の氏寺であり、日本最古の本格的伽藍構造)
o 王権墳墓:石舞台古墳(蘇我馬子墓説)、高松塚古墳・キトラ古墳(極彩色壁画と天文図)
• 藤原地域(橿原市):持統・文武・元明天皇の3代(694~710年)
o 藤原宮跡・藤原京:中国式都城(大内裏と条坊制)を日本で初めて全面的に採用
これらの資産は、蘇我氏から中臣(藤原)氏へと政治的主導権が推移する中で、王権が「部族連合国家」から「東アジア的律令国家」へと脱皮していく動的なプロセスを示している。
歴史学における藤原氏を起点とする系譜論(中世受領層の動向)、および忍術・武術史における飛鳥期・志能便に仮託された甲賀武士の職能起源論という2つの学術的アプローチを交差させることで、古代国家の形成史がどのように後世の一族アイデンティティへ受容・再構成されたかを構造的に検証する。
1. 歴史学的・考古学的基盤:「飛鳥・藤原の宮都」の特質
「飛鳥・藤原の宮都」の文化的価値は、天皇号・「日本」の国号の成立、および律令に基づく中央集権体制の確立という「古代国家のグランドデザイン」が具現化された点にある。
【「飛鳥・藤原の宮都」の構造と政治的変遷】
• 飛鳥地域(明日香村・桜井市):推古朝~天武朝(一部を除く)の複合宮殿・官寺・墳墓
o 宮殿跡:飛鳥宮跡(伝飛鳥板蓋宮など)、飛鳥京跡苑池(極めて初期の庭園遺構)
o 仏教寺院:飛鳥寺跡(蘇我氏の氏寺であり、日本最古の本格的伽藍構造)
o 王権墳墓:石舞台古墳(蘇我馬子墓説)、高松塚古墳・キトラ古墳(極彩色壁画と天文図)
• 藤原地域(橿原市):持統・文武・元明天皇の3代(694~710年)
o 藤原宮跡・藤原京:中国式都城(大内裏と条坊制)を日本で初めて全面的に採用
これらの資産は、蘇我氏から中臣(藤原)氏へと政治的主導権が推移する中で、王権が「部族連合国家」から「東アジア的律令国家」へと脱皮していく動的なプロセスを示している。
2. 遠藤宗家における歴史的受容と双方向の相関
遠藤宗家が保持する家伝、およびその歴史的位置づけにおいて、「飛鳥・藤原」の空間と人物は以下の2点において結晶化されている。
2.1. 藤原(中臣)氏の台頭と「遠藤」の氏族成立(血統論的接続)
「藤原の宮都」の名称の由来であり、その造営と律令編纂(大宝律令)を主導したのは、乙巳の変(645年)を経て天智天皇より「藤原」の氏姓を賜った藤原鎌足(中臣鎌足)に始まる藤原氏である。遠藤宗家の家系伝承によれば、同家は平安時代中期(10世紀)の天慶の乱(平将門の乱)を平定した征東大将軍・藤原忠文(藤原式家・藤原枝良の子)の末裔とされる。忠文の孫である藤原為方がのちに「遠藤六郎大夫」を称し、一族が任官した「遠江守(遠江国の国司長官)」の「遠」と、祖姓である「藤原」の「藤」を組み合わせたことが「遠藤」の始まりとされる。
• 学術的検証(受領層の土着化と氏の成立):
歴史学において、平安中期から後期にかけて中央の藤原氏から分かれた下級貴族(受領・地方官)が、任地にちなんだ新たな氏を名乗りつつ「祖先としての藤原氏」への帰属意識(本姓=藤原)を保持する現象は、中世武士団の形成過程として極めて一般的かつ定型的な動向である。したがって、「藤原宮」を築いた古代最高貴族としての藤原氏の記憶は、のちに近江国甲賀郡(岩室郷)へと土着していく遠藤氏にとって、自らの血統的始源(オリジン)を担保する象徴的空間として位置づけられる。
2.2. 飛鳥期における「志能便」伝承と甲賀武士の職能起源(職能論的接続)
遠藤宗家のアイデンティティのもう一つの柱は、德川幕府を支えた「甲賀百人武士」としての高度な軍事・警備・隠密職能である。この職能の歴史的起源を溯る際、飛鳥時代の歴史が直接的に召喚される。
• 「聖徳太子と大伴細人」の伝承:
飛鳥宮に拠って推古天皇の摂政を務めた聖徳太子(厩戸皇子)が、周辺諸国や豪族の動静を察知するために、甲賀の地(現在の滋賀県甲賀市周辺)の武士であった大伴細人を「志能便」として登用したという伝承が存在する。これは、日本の忍者・間諜史における最初の公的記録(あるいは初出伝承)としてしばしば言及される。
• 空間の共有と後世の仮託:
大伴細人が聖徳太子の命令を奉じて、情報収集や潜入任務、警護を行った中枢の舞台こそが、世界遺産の構成資産である「飛鳥宮跡」や「飛鳥京」の空間である。近世において江戸城大手門の境界管理(警備任務)を担うこととなる遠藤宗家(甲賀組)にとって、飛鳥時代の「志能便」は自らの職能の社会的正統性(レジティマシー)を古代王権(聖徳太子)に求めるための、極めて重要な歴史的参照点となっている。
世界遺産「飛鳥・藤原の宮都」と「遠藤宗家」の関連性は、歴史的遺物の直接的な共有という物理的次元ではなく、「古代国家の形成史(公史)」と「近世武家の家伝・職能史(私史)」が交差する精神史・伝承学の次元において成立している。遠藤宗家にとって、2026年の世界遺産登録は、一族の「血統の祖型(藤原氏)」が描いた律令国家のグランドデザインと、「職能の祖型(志能便)」が暗躍・躍動した飛鳥の空間が、人類共通の文化的価値として公的に再定義されたことを意味する。