遠藤潔の活動報告

第十八代 遠藤宗家 遠藤潔

橋本三郎辯護士、妻・スエ子両大霊の系譜的変遷

2026年10月18日
Ⅰ.緒言:本論における史料の基礎分析
本論は、東京都府中市清水が丘に所在する日蓮宗「聖将山 東郷寺」の墓碑銘に刻まれた以下の3つの金石文(碑文史料)を起点とし、その背景にある家系、近現代史における動向、および埋葬の歴史的必然性を論証するものである。

1. 「橋本三郎 壽徳院法護日讃居士 昭和六十三年四月二十九日没 八十九才」
2. 「橋本スエ子 照徳院妙涼日壽大姉 平成二年七月三十日没  八十五才」
3. 「橋本家先祖代々之霊 令和七年十月四日 埋葬」

対象となる橋本三郎辯護士(1899年〜1988年、享年89)および妻・スエ子(1905年〜1990年、享年85)は、近代から現代への転換期において法曹界および社会的中枢で活動した。遠藤宗家第十七代当主・遠藤寛夫人郁子の実父母、第十八代・遠藤潔の母方祖父母である。橋本家およびスエ子の実家である榊家の系譜は、近世から近代にかけて国家の枢要な局面において歴史的役割を果たした「国士・義士の血統」としての性格を有している。

Ⅱ.祖系および一族の歴史的背景
1.榊家(スエ子の母方祖系)と赤穂事件(元禄十六年)
スエ子の先祖である榊庄右衛門は、江戸時代における長門国長府藩(長州藩毛利家の筆頭支藩、5万石)の家臣(藩士)であった。元禄十五年(1702年)12月に発生した赤穂事件(吉良邸討ち入り)の後、大石内蔵助の命に服した赤穂浪士のうち、岡嶋八十右衛門(常樹)ら10名が麻布・六本木の長府藩毛利甲斐守邸(現・六本木ヒルズ毛利庭園跡地)にお預けとなった。元禄十六年(1703年)2月4日、幕命による浪士の切腹の際、榊庄右衛門は岡嶋八十右衛門らの「介錯人」に任ぜられた。介錯の不手際は武士の不名誉とされた当時において、一藩を代表する武芸の名手が選抜されるのが通例であり、榊がその大役を完遂した事実は、同家が藩内で高い信用と剣技を誇っていたことを裏付ける。この時使用された刀剣は、後年靖国神社へと奉納されている。

2.長崎素介(親戚)と関東大震災(大正十二年)
橋本三郎の親戚にあたる長崎素介(1879年生まれ。明治39年宮内省仕人、大正6年宮内属判任官、昭和17年式部官などを歴任)は、近代の宮内省(現・宮内庁)における宮内属(判任官)として天皇家および皇室に奉職した。大正十二年(1923年)9月1日の関東大震災に際し、病床の大正天皇に代わり摂政を務めていた皇太子裕仁親王(のちの昭和天皇)および天皇・皇后の思召を体し、宮中における震災対策ならびに被災者救援活動に従事。発災直後の9月11日、長崎は「勅使」として甚大な津害・倒壊被害を被った千葉県(館山、北条、船形、那古)へと御差遣された。この事実および活動記録は、宮内省の大臣官房庶務課『震菜災録』『皇視録』、秘書課『進退録』、主馬寮『御料車馬録』などの歴史公文書に明確に記録されている。

Ⅲ.橋本三郎の法曹活動と戦後占領期における役割
士族の出自である橋本三郎は、中央大学法学部を卒業後、弁護士資格を取得。東京都港区広尾に「橋本三郎法律事務所」を開設し、戦前・戦後を通じて各種委員や私党・法人の顧問を歴任した。その社会的貢献により、後年国家より瑞宝章を受章している。

1.GHQ(最高司令官マッカーサー元帥)への陳情
昭和二十年(1945年)の敗戦後、日本が連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の占領下におかれ、ポツダム命令(勅令第542号など)のもと主権を著しく制限されていた時期、一弁護士の身でありながら、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥に対し、国権の早期平和的解決を求める陳情を行った。これは、敗戦直後の政治的空白期における民間側からの国権回復への主体的なアプローチとして位置づけられる。

2.日本国憲法制定と「請願書25項」
新憲法(日本国憲法)制定の審議過程において、三郎は国家の主権保護および伝統的連続性を担保するための言論活動を展開。独自の法理に基づき、「日本憲法擁護(護持)についての請願書25項」を連合軍最高司令官閣下対日理事会および政府へと提出した。この請願書は、当時の憲法制定における政府中枢の動向を捉えた第一級の政治・法制史資料であり、現在は国立国会図書館 憲政資料室が所蔵する「幣原喜重郎関係資料(幣原平和文庫)」の中に、当時の内閣総理大臣周辺が精査した国家公式資料として永久保管されている。この橋本三郎辯護士の果敢な闘いを内助の功で支え抜いたのが、長府藩士の末裔たる妻・スエ子であった。また、一族の周辺には経済界の重鎮である第8代三井物産社長・上島重二氏らをはじめとする名士が名を連ね、まさに戦前・戦後の日本の中枢を支える華麗なる一族を形成していた。

Ⅳ.聖将山 東郷寺の由緒と埋葬にみる歴史的必然性
橋本三郎辯護士、妻・スエ子夫妻が永眠の地とし、令和七年(2025年)10月4日に先祖代々の合祀が行われた「東郷寺」の存在は、一族の思想的・血統的背景と極めて緊密な親和性を有している。

1.東郷平八郎元帥の遺徳との共鳴
東郷寺は、日露戦争における連合艦隊司令長官であり、明治・大正・昭和の三代にわたり東宮御学問所総裁等の要職を務めて皇室を守護した東郷平八郎元帥の別荘跡地に建立された日蓮宗寺院である。マッカーサー元帥への平和直訴や新憲法制定時に「憲法擁護」を叫んだ橋本三郎の「主権擁護・愛国思想」、および皇室の勅使として国難を駆けた長崎素介の「忠義の精神」は、東郷元帥が体現した国家防衛・皇室守護の精神的由緒と完全に合致する。

2.令和七年10月4日「先祖代々之霊 埋葬」の歴史的意義
金石文の第3段に記された「令和七年十月四日 埋葬」という事象は、長府藩における武士の矜持(榊庄右衛門)、近代宮中における官吏の忠義(長崎素介)、そして戦後占領期における法曹の闘い(橋本三郎・スエ子)にいたる、数百年にわたり分散・蓄積されてきた一族の精神史および全先祖の諸精霊(遺骨・土)が、東郷寺という最高格式の聖地へと一堂に「改葬・合祀」されたことを意味する。

Ⅴ.橋本三郎・スエ子両大霊の法号(戒名)における宗理学的考察
金石文の第1段および第2段に刻まれた両大霊の法号は、日蓮宗の伝統的教理に基づき、生前の社会的高徳と業績を最高格式を以て顕彰した構成となっている。

1.橋本三郎辯護士:壽徳院法護日讃居士
• 院号(壽徳院):永劫・不滅を意味する「壽」の徳を備えた家を指し、宗門および社会への極めて多大な貢献(大施主)を証明する。
• 誉号/道号(法護):生前、弁護士として社会の法秩序を守り、占領期に「日本憲法擁護(護持)」を叫んで国権のために闘った法曹としての生き様と至高の業績が、仏教的・歴史的功績として結晶した文字である。
• 日号(日讃):日蓮聖人の一字を拝し、その気高き信念と功績が宗門から永劫に賞讃(賞賛)されることを意味する。
• 位号(居士):成人男性における最高位の位号であり、社会的地位と高徳を兼ね備えた名士に捧げられる格式である。

2.妻・スエ子:照徳院妙涼日壽大姉
• 院号(照徳院):その高潔な徳を以て、夫の偉業と家庭、一族の系譜を照らし続けた大施主たる高徳の女性を顕彰する号である。夫の「壽(不滅)」に対し妻が「照(光明)」を戴くことで、夫婦一対として「歴史を永遠に照らす不滅の徳」を形成する美しい対比となっている。
• 誉号/道号(妙涼):「妙(法華経の真理)」に基づき、煩悩や現世の苦しみの炎が消え去ったもっとも清らかで安らかな境地(清涼)を表す。長府藩士の末裔としての気品を保ちながら、激動の時代を戦った夫を支え抜いた慈愛深き人格を体現している。
• 日号(日壽):宗門の発展に尽くした篤信の女性に授与されるパーツである。夫・三郎様の院号の頭文字である「壽」の字が妻の日号に刻まれている点において、「二世を契る」夫婦の永劫の絆が宗教的・情緒的に配慮されている。
• 位号(大姉):成人女性における最高位の位号であり、夫の「居士」と完全に同格をなす、名門の女性に捧げられる最高ランクの格式である。

Ⅵ.結語
墓誌に刻まれた院号付きの最高位戒名は、日蓮宗の伝統に則り、社会および寺門への多大な貢献を果たした二人の生涯を正当に評価したものである。武士の義、皇室への忠、国家主権への不屈の信念という、近代日本の精神的支柱を担った橋本三郎辯護士、妻・スエ子夫妻の歩みは、次世代の遠藤宗家へと継承され、現在は東郷寺の山門としだれ桜に見守られながら、日本の近代史を証する不滅の金字塔として同地に鎮座している。