遠藤潔の活動報告

第十八代 遠藤宗家 遠藤潔

目黒の鷹狩り

2017年10月28日
目黒といえば、さんま・タケノコ・不動尊で広く世間に知られている。これらは徳川歴代将軍の鷹狩りと深いかかわりがある。

遠藤宗家甲賀百人組は、徳川将軍家が鷹狩り御成りの際、警護を担った。徳川吉宗公は1718年(享保3)に初めて鷹狩りで駒場野を訪れ、その後15回にわたって駒場野に赴き、ウズラ狩りやイノシシ狩りなど鉄砲を使う大がかりな狩りも行っていた。

鷹狩りは、飼いならした鷹をこぶしにのせ、山野に放して野鳥を落としたり、捕まえたりする、鍛練と娯楽を兼ねた行事であったが、中世になり武家が政権を執るようになると、政治的なねらいから、領内の民情や敵地の情勢を探る傾向が強くなり、制度として次第に整えられていった。

江戸時代に入ると、幕府は鷹狩りを年中行事に取り入れ、年頭には決まって将軍自らが鷹狩りを行ったといわれる。また、将軍家が鷹狩りを行う場所を御鷹場、拳場こぶしば、御留場おとめばなどといい、特に幕府のおひざ元である江戸近郊の鷹場は、江戸を固めるために整備され、鷹の飼養と調練にあたる鷹匠や鳥見とりみなどが置かれた。

目黒区と金沢市は、旧加賀藩主前田家第16代当主利為侯爵(1885年から1942年)が「旧前田家本邸」を昭和4年(1929年)に駒場に建設するなど、歴史的なつながりが深いことから、両都市の友好の絆をさらに深め、両都市間の友好推進及び魅力と活力にあふれたまちづくりを共に進めることを目的として、平成28年10月28日に友好都市協定の覚書を締結した。