遠藤潔の活動報告

第十八代 遠藤宗家 遠藤潔

遠藤宗家本邸

2018年09月18日
遠藤潔 第十八代遠藤宗家の生家である遠藤宗家本邸は、東京都練馬区東大泉に現存している。

緑を基調とした庭園を背景に優雅な佇まいを見せる遠藤宗家本邸は、遠藤家の住居兼社交場として遠藤寛 第十七代当主遠藤宗家と親交があった安田財閥創始者 安田善次郎の孫である建築設計士 安田紫気郎によって建てられた。竣工は昭和50年8月。西洋風建築として、工事を施した。

安田財閥は富山県出身の安田善次郎が設立した財閥であり、日本の四大財閥の一つ。金融部門の絶対的な優位性を持つことから「金融財閥」とも呼ばれた。安田財閥の金融資本は他の財閥の追随を許さず、日本で最大の規模を誇っていた。

遠藤宗家本邸は、都心とは思えない静寂な環境、古き良き時代から受け継がれた伝統が脈々と息づく社交場として現在も利用されている。本邸は、白を基調とした西洋風モダン造りの外壁であり、中央の吹き抜けは硝子斜光と様々な建築様式が調和している。また、本邸前に広がる西洋風庭園も心潤す美しさである。邸宅内部の正面入った処の1,2階吹き抜けホールと硝子窓、階段の構成や各室の優雅な室内装飾等に見るべきものが多く、遠藤寛 第十七代当主の美術収集作品である。



■ 遠藤宗家
第五十代 桓武天皇を祖としながらも皇室を離れ、臣籍降下により平姓を賜る。遠藤姓の始まりは、遠江守(とおとうみのかみ=遠江国の国司の長官)に就任した藤原氏から起こったとされる。家紋は左三つ巴紋であり、「巴(ともゑ)」の起りには、武具である弓を射る時に使う鞆(とも)を図案化したもので、鞆絵とされている。その後、水が渦巻いているのに似通っているため、巴の字を当てたとされる。そのため、防火のまじないとされ、平安期の末期ごろから鎧瓦(軒先に葺く瓦)、車輿、衣服の文様に用いられた。遠藤左太夫を始祖とする遠藤宗家(旗本)は、甲賀百人武士。徳川将軍家 直参御目見得。明治元年(1868年)の明治維新以降、華族令の制定により明治十七年(1884年)に士族となり、十五代当主遠藤榮(大正天皇 宮内庁 東宮侍従)を経、現在、十七代当主寛(弁護士)に至る。