遠藤潔の活動報告

第十八代 遠藤宗家 遠藤潔

守屋善輝 中央大学名誉教授

2019年06月19日
遠藤 潔 第十八遠藤宗家の親戚である守屋善輝中央大学名誉教授は、明治天皇ご臨席の下、1929年(昭和3年)東京帝国大学法学部を卒業式した。その際、明治天皇より成績優秀者として、恩賜の銀時計を拝受された。

明治維新から第二次大戦までは、東京帝国大学、学習院、商船学校、陸軍士官学校や陸軍騎兵学校等軍学校などで、各学部の成績優秀者(首席・次席)に対して、天皇からの褒章として銀時計が授与された。元は、陸軍大学や海軍大学の成績優秀者に授与されるもので、陸海軍だけでは不公平であるとの議論から、東京帝国大学でも恩賜の銀時計の授与が始まったと「東京大学百年史」に記載がある。銀時計を授与された者は、至高の名誉と見なされ「銀時計組」と呼ばれた。また、新聞に優等卒業生全員の氏名を掲載していたと報告している。

守屋中央大学名誉教授は、1933年(昭和8年)同大学院(旧制)法学研究科修了後、1949年(昭和24年)5月15日学灯を受け継ぐ人々によって、中央大学英米法研究会を設立した。同研究会は、中央大学に学ぶ学部学生のための学術研究団体であり、Anglo-American Law Instituteと称している。

拓殖大学予科を経て、1936年(昭和11年)に中央大学法学部を首席卒業した担保法の権威である水島廣雄元そごう社長・会長は、守谷教授の英米法学(中央大学学友会学術連盟英米法研究会)を専攻した。

中央大学は、1885年(明治18年)7月に東京府神田錦町に英吉利法律学校として創設された大学である。英米法を研究する目的は、日本の法体系とは異なるイギリスやアメリカの法体系を学び、日本と比較することで、日本法をより深く学ぶことにあった。

その後、守屋教授は、第三代日本比較法研究所所長に1966年(昭和41年)11月就任した。同研究所は、日本の比較法学の泰斗、杉山直治郎博士が初代所長として、1948年(昭和23年)12月に発足した。この種の研究所としては、東洋で最初に設立された機関である。同研究所は、中央大学によって設置されたものの、当初は、中央大学の枠を越えた全国的な規模の研究機関として組織され、広く海外の同種の諸機関と密接な連携を保ち、国際的な比較法研究の推進の一翼を担うという遠大な構想をもっていた。設立当初の研究所規則は、「日本比較法研究所は、その名の如く、一大学の独占的施設ではない。日本の、東洋の、ひいては世界の、志を同うする研究及び実践に協力し、比較法学の進歩に寄与することを切念するものである」(前文)と謳っている。

1963年(昭和38年)に新たに制定された日本比較法研究所規則は、研究所は学校法人中央大学が設置するものであることを明示し、そして中央大学の専任教員をもって所員とすることとなり、同研究所の組織は大幅に変更された。この改正作業を通して研究所の新しい運営体制の礎が築かれ、研究所は新時代を迎えることとなった。この前後には、比較法雑誌の刊行も暫時途絶えるなど、沈滞の時期があったが、同誌は1968年(昭和51年)に8年ぶりに復刊され、新組織の研究所は漸く活力を回復した。

そして1977年(昭和52年)には、世界ムスリム連盟およびイスラミック・センター・ジャパンの後援の下に、同研究所の主催でイスラム法講演会を開催した。この講演会のために、世界ムスリム連盟長官、同副長官、その他4 名の高名なイスラム法の権威者が遠路はるばる来日し、講演を行った。講演会の初日には、三笠宮崇仁親王殿下、最高裁判所裁判官3名、駐日外国大使3名等の貴賓も列席し、4日間に亘る講演会は連日中央大学内外から200名を超える参加者を得て、大きな成功をおさめた。


■ 守屋善輝
遠藤榮 第十五代当主遠藤宗家(大正天皇侍従)の妻やゑ(迪宮裕仁親王東宮女官)の姉妹ハヤと守屋当主の子。
法学者。英米法学者。法学博士(中央大学)。中央大学名誉教授。元中央大学学長代理。29年東京帝国大学法学部卒業、33年同大学院(旧制)法学研究科修了、35年中央大学法学部教授、36年イギリス・ケンブリッジ大学、アメリカ・ハーバード大学に留学、48年中央大学予科長、51年中央大学評議員、52年中央大学学生部長、54年中央大学通信教育部長、66年第三代日本比較法研究所所長、68年中央大学学長事務取扱、中央大学理事、73年日本比較法研究所名誉所長、74年中央大学定年退職、同名誉教授。同年 勲三等旭日中綬章受章。著作は、『英國契約法概説』(有斐閣 50年)、『学生とエチケット』(有信堂 55年)、『英米法諺』(日本比較法研究所 73年)。