遠藤潔の活動報告

第十八代 遠藤宗家 遠藤潔

田波耕治 元大蔵省事務次官

2019年07月26日
遠藤 潔 第十八代遠藤宗家は、実母であり遠藤寛遠藤宗家第十七代当主・弁護士の妻郁子と東京都渋谷区立広尾小学校の同級生である元大蔵省事務次官の田波耕治弁護士と交流がある。田波耕治弁護士の父である田波芳三弁護士と遠藤郁子遠藤宗家第十七代当主・弁護士夫人の父である橋本三郎弁護士は、共に広尾を拠点として法律業務において活躍した。

田波芳三弁護士は、1891年誕生する。1916年逓信省入省(-1937年)、その後、帝国電力常務、大日本電力常務、日発理事、九州配電常務経て、1948年弁護士登録した。

田波耕治弁護士は、田波芳三弁護士と平野孝子氏(平野米吉氏の長女)の三男として1939年9月10日誕生した。(長男:弥一郎氏、二男:宏氏、長女:和子/麻生茂防衛庁人事教育局長妻、二女:治子氏、三女:滋子氏)その後、東京都立日比谷高等学校を経て、東京大学法学部を卒業、1964年に大蔵省に入省した。同期入省には野田毅衆議院議員(16期)、野口悠紀雄早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問、一橋大学名誉教授、涌井洋治元大蔵省主計局長、高橋厚男元関税局長、加藤隆俊元財務官、坂本導聡元経済企画庁総合計画局長 、竹内克伸元国土事務次官などがいる。

大臣官房、外務省在米国大使館一等書記官、理財局資金第二課長補佐などを経て、福田赳夫内閣の坊秀男蔵相の下で大臣秘書官を経て、1977年大須敏生(のち理財局長)から引き継いで、福田赳夫内閣改造内閣の村山達雄蔵相の下で、さらに大平内閣の金子一平蔵相の下でも同様に大臣秘書官を務めた。主計局主計企画官を経て、1983年中曽根内閣の竹下登蔵相の下で大臣秘書官を務めていた際、大蔵事務次官の松下康雄により主計局主計官に登用。主税局税制第一課長、大臣官房秘書課長、主計局次長、官房審議官、官房総務審議官を経て、1994年理財局長に就任した。 1996年内閣官房にて内閣内政審議室長に就任する。その後、1998年1月内閣内政審議室長から大蔵事務次官に就任し大蔵省改革に取り組む。1999年7月大蔵省を退官した。

その後、国際協力銀行副総裁などを歴任し、現在も格付け投資情報センター顧問、株式会社三菱UFJ銀行顧問、公益財団法人笹川平和財団評議員、公益財団法人国際通貨研究所評議員、公益財団法人小笠原科学技術振興財団理事、公益財団法人日本法制学会理事、外立総合法律事務所顧問に就任している。


■ 田波耕治
63年司法試験合格、64年東京大学法学部卒業、64年大蔵省入省大臣官房文書課、94年大蔵省理財局長、96年内閣内政審議室長、98年大蔵事務次官、99年大蔵省顧問、01年国際協力銀行副総裁、08年同総裁、09年弁護士法第5条研修終了、10年弁護士登録(第一東京弁護士会)、10年外立総合法律事務所顧問弁護士などに就任。