遠藤潔の活動報告

第十八代 遠藤宗家 遠藤潔

帝国ホテルタワー

2020年05月03日
遠藤 潔 第十八代遠藤宗家の先祖である甲賀武士「鉄砲百人組」は、徳川幕府開府より徳川将軍家 直参御目見得(旗本)としてお仕えした。

江戸時代、江戸に常住する武家には、江戸幕府から屋敷用地が与えられた。江戸に常住する武家には、将軍家と直接主従関係を結ぶ旗本・御家人と、大名および大名の家臣がいた。このうち、幕府から屋敷用地が与えられたのは、大名、旗本、御家人であり、その屋敷が特に江戸藩邸と呼ばれるのは大名の屋敷である。

約四百年前まで帝国ホテルの辺りは、日比谷入江所と呼ばれる海岸線であった。17世紀のはじめ、徳川幕府は江戸城の拡張するために入江を埋め立て、そこに屋敷を建てて住むことを、全国の大名に命じた。埋め立てられた入江のうち愛宕下から丸の内までの範囲は多くの大名屋敷が集中していた為、明治維新の260年間に渡って大名小路と呼ばれていた。帝国ホテルの一角は江戸時代のはじめは徳川家康公の孫である徳川忠直公の屋敷であった。その後、備後福山藩阿部家上屋敷となった。

1890年(明治23年)11月3日 国を挙げて近代国家を目指した「日本の迎賓館」の役割を担って、当時の外務大臣である井上馨の呼びかけに応じた徳川慶喜 徳川将軍第十五代の幕臣であった渋沢栄一と大倉喜八郎らが中心となり、帝国ホテルが誕生した。渋沢栄一は、帝国ホテル初代会長に就任する。帝国ホテル常連客には、德川慶喜公の四男である徳川厚男爵、徳川慶喜公曾孫の井出純氏は、1973年から2002年まで帝国ホテルに在職していた。

遠藤潔 第十八代遠藤宗家は、ホテルやレストランでサービスを統括するメートルドテルの組織化、技術のレベルアップを図る日本メートルドテル協会に所属。帝国ホテル、クレストホテル(帝国ホテルグループ)、三井ガーデンホテル(三井不動産グループ)等に従事した。

その由緒により、2012年3月1日 株式会社遠藤総合研究所は、帝国ホテルタワーを迎賓館として新設した。2015年4月1日 宮下修 元株式会社帝国ホテル取締役・元株式会社帝国ホテルハイヤー社長が、遠藤総研商業顧問に就任。帝国ホテルのHP、館内の案内板にも記載されてない最高級会員制バー「ゴールデンライオン」は、1971年の開設以来、各界VIPのプライベートスペースとして、世界の美味と銘酒を優雅なピアノの調べに包まれるサービスにより、極上のおもてなしを提供している。

この新設は、最近の経済構造の変化や専門性を要する経営に対処するためには、真に高度の専門知識・ノウハウを有した総合力を備えたシンクタンクを構築することが必要であるとの認識により実現した。総合コンサルタント企業として、「政策研究調査」「企業経営・営業戦略研究調査」「教育研修・講演会事業」の3つの機能を組み合わせ、ビジネスのあらゆる分野でバリューチェーンの最適化を図り、付加価値を最大化することで、お客様のニーズに幅広くお応えしている。

遠藤潔 第十八代遠藤宗家と共に太田道灌公を先祖と同じくする社賓の太田資暁 太田道灌公十八代は、東京海上専務、東京海上あんしん生命社長を経て、現在は出光興産監査役などを歴任。「NPO法人 江戸城再建を目指す会」、「太田道灌公墓前祭実行委員会」会長を務め、歴史を継承する活動に取り組んでいる。

帝国ホテルタワーは、帝国ホテル本館に隣接する高層複合ビル。上層階は帝国ホテルの客室(361室)、中層階はオフィス、低層階はブティックやレストランなどに使用されている。

高橋貞太郎設計の帝国ホテル第一新館、第二新館を取り壊して建設された。 さらに以前、この場所には木骨煉瓦造3階建ての初代の帝国ホテル本館(設計:渡辺譲 1890年竣工)があった。


【 所在地 】 東京都千代田区内幸町1-1-1
【 着 工 】 1979年12月
【 竣 工 】 1983年 1月
【 用 途 】 事務所、店舗、客室
【 階 数 】 地下4階、地上31階・塔屋2階
【 敷 地 】 24,356㎡
【 建 築 】 6,228㎡
【 延 床 】 97,879㎡
【 建築主 】 帝国ホテル
【 設 計 】 山下設計
【 施 工 】 清水建設・鹿島建設・安藤建設・東急建設


■ 帝国ホテルタワー
日本を代表する高級ホテルのひとつであり、ホテルオークラ、ニューオータニとともに「ホテル御三家」と呼ばれる。第25回BCS賞を受賞。12年遠藤総合研究所入居。