遠藤潔の活動報告

第十八代 遠藤宗家 遠藤潔

石神井武蔵野館

2021年03月15日
遠藤 潔 第十八代遠藤宗家の曽祖父である石神井村有力地主の栗原鉚三石神井村村長は、石神井の発展に尽力した。

1915年(大正4年)池袋から飯能まで武蔵野鉄道(現西武池袋線)の開通伴い、石神井村の栗原鉚三村長等の有力地主は、石神井駅(現石神井公園駅)駅舎敷地の五千余坪を寄付した。1920年(大正9年)鉄道敷設に賛意を表した旨の碑文を刻んだ「石神井火車站之碑」石碑が造立され、現在、石神井公園駅 南口に建立されている。

栗原鉚三村長は観光開発事業として、私有地を武蔵野鉄道等に貸し出した。そこでは借主等は、1917年(大正6年)三宝時寺池南側で旅館「武蔵野館」、東側で別館料亭「豊島館」の営業を開始した。翌年の1918年(大正7年)現在「水辺観察園」がある場所に、同村長が日本初の100mプール「府立第四公衆遊泳場」を造った。三宝時池の湧水を利用していたため、かなり冷水であった。

1934年(昭和9年)石神井池(通称ボート池)は、三宝寺池一帯が風致地区に指定された際、三宝寺池とともに武蔵野の景観を保護する目的で、栗原鉚三村長の所有する田んぼに三宝寺池の湧水を引いて人工的に作られたものである。同年、武蔵野鉄道の経営不振により、石神井に住んでいた保谷硝子(現HOYA)の山中社長が武蔵野館と豊島館を買い取り、社員寮にした。1941年(昭和16年)太平洋戦争開戦により、陸軍向けに望遠鏡の需要が急増したからである。

以降、洋風に改装したことに合わせ「石神井ホテル」に改称された。1944年(昭和19年)からは一年程、陸軍に接収されたが、終戦後には営業を再開した。しかし、 1949年(昭和24年)には旅館業を廃業して「石神井アパート」に改称、その後は一般向けアパートとなった。1977年(昭和52年)老朽化に伴い取り壊された。

見晴亭は、武蔵野館・豊島館同様、栗原鉚三村長が貸し出した土地で、営業を開始した茶店である。創業年は不明であるが、両館とほぼ同時期であったと考えられる。1935年(昭和10年)以降は、さまざまな文士らが訪れており、彼らにとっての憩いの場にもなった。1937年(昭和12年)には檀一雄・太宰治らにより「青春五月党」が結成された。その会合の際には、太宰がこの店の縁台で酒を飲んでいた。1993年(平成5年)頃に取り壊された。豊島館、石神井ホテル、見晴亭は、三宝寺池南側に隣接して存在していた。

※画像:豊島館(昭和30年前半)


■ 栗原鉚三
旧上石神井村の名主。三宝寺檀家総代。
石神井村村長 1916年~1932年(大正5年11月21日~昭和7年9月30日)
≪ 石神井村沿革 ≫
1872年(明治4年)東京府へ編入。新宿口第22区(谷原・田中)、第18区(石神井・関)に属す。1873年(明治6年)朱引外大小区改正により東京府第8大区7小区(谷原・田中)、8小区(石神井・関)にそれぞれ改称。1878年(明治11年)郡区町村編制法施行により東京府北豊島郡の所属となり、谷原村・田中村、下石神井村、上石神井村・竹下新田・関村の3つの戸長役場が定められた。1889年(明治22年)町村制施行に伴う合併(明治の大合併)上石神井村、下石神井村、谷原村、田中村(田中新田を含む)、関村の5村に加えて上土支田村を合併し東京府北豊島郡石神井村となる。(各村は大字となる)1891年(明治24年)大字上土支田を分離。石神井村大字上土支田は大泉村大字上土支田となる。1932年(昭和7年)板橋区成立。東京市が隣接5郡(豊多摩郡・北豊島郡・荏原郡・南足立郡・南葛飾郡)82町村を編入。練馬地区には練馬派出所と石神井派出所が設置。後に、練馬派出所は練馬支所、石神井派出所は石神井出張所へと昇格。石神井村は7町に分立し、石神井谷原町(旧:谷原村、現:谷原、高野台、富士見台)、石神井北田中町(旧:田中新田、現:三原台)、石神井南田中町(旧:田中村の田中新田を除く、現:南田中)、上石神井町(旧:上石神井村、現:上石神井、石神井台)、下石神井町(旧:下石神井村、現:下石神井、石神井町、上石神井南町)、石神井関町(旧:関村、竹下新田、現:関町北、関町南、関町東)、石神井立野町(旧:上石神井村立野の飛地、現:立野町)、1943年(昭和18年)東京都制が施行。旧石神井村は東京都板橋区に属す。1947年(昭和22年)練馬区独立。

石神井郵便局局長 1922年(大正11年)
≪ 石神井郵便局沿革 ≫
1922年(大正11年)請願による3等郵便局として開局。(下石神井1315番地・現在の石神井町3丁目20番)1924年(大正13年)集配業務を開始。1927年(昭和2年)電話通話事務を開始。1927年(昭和2年)電信事務を開始。1927年(昭和2年)電話交換業務を開始。1937年(昭和12年)2等局に昇格。等級制は昭和16年勅令第95号(1941年2月1日施行)により廃止。1947年(昭和22年)下石神井2丁目1217番地(現・石神井町6丁目1番)に電話分室を設置。1949年(昭和24年)郵政省・電気通信省発足により電信電話事務を分離。1951年(昭和26年)下石神井2丁目1301番地(現・石神井公園駅前郵便局)に移転。1956年(昭和31年)電話通話事務の取扱を開始。1957年(昭和32年)和文電報受付事務の取扱を開始。1960年(昭和35年)下石神井2丁目1365番地(現・石神井町2丁目8番)に分室を設置(郵便業務)。1964年(昭和39年)現在地に新築移転。1999年(平成11年)外国通貨の両替および旅行小切手の売買に関する業務取扱を開始。2007年(平成19年)民営化に伴い、併設された郵便事業石神井支店に一部業務を移管。2012年(平成24年)日本郵便株式会社の発足に伴い、郵便事業石神井支店を石神井郵便局に統合。2016年(平成28年)ゆうゆう窓口の24時間営業を廃止。