遠藤潔の活動報告

第十八代 遠藤宗家 遠藤潔

栗原吉之助 栗原家当主

2021年08月23日
遠藤 潔 第十八代遠藤宗家の親戚である栗原吉之助 栗原家当主は、東京都西新宿八丁目の四大地主として、新宿区の発展に寄与した。

株式会社セリアコーポレーションの栗原洋子会長は、東京メトロ「西新宿」駅より至近の栗原吉之助本邸宅跡にホテルローズガーデン新宿(本館客室数:101室、開業時期:1997年4月)を運営している。創立20周年の節目の年には、新館を開業(客室数:40室、開業時期:2017年3月)し、更なる新宿区の地域発展と日本経済の活性化に貢献している。

栗原家当主の栗原吉之助本邸宅跡の表玄関表札(淀橋区柏木一丁目一三五番地、現在:東京都新宿区西新宿八丁目一番三号)は、ホテルローズガーデン新宿のシンボルとして現存している。当時、数千坪の本邸内にあった庭園や社交場(ダンスホール)などは、マスコミ等の話題となった。

新宿は東京都に23ある特別区の一つであり、千代田区・港区・中央区の「都心3区」に新宿区と渋谷区を加えて「都心5区」と言われることがある。新宿駅は世界最大の利用者数を誇るターミナル駅であるため、駅周辺の昼夜の人口増減が特に著しい。新宿駅西口に位置する西新宿は、東京でも有数のオフィス街であり、超高層ビルが林立している。日本有数の歓楽街として有名な歌舞伎町は、新宿駅東口に位置している。新宿駅南部は、新宿御苑や明治神宮外苑があり緑が豊富である。また、都心のベッドタウンとして人口が急激に増えた北部の落合地区は、住宅地となっている。本来、山の手とは新宿区内を中心とした高台(武蔵野台地)を指す。

古くは甲州街道の宿場町として栄えた新宿は現在では三大副都心の一角に数えられ、東京市四谷区・牛込区、豊多摩郡内藤新宿町・淀橋町・大久保町・戸塚町・落合町(5町はいずれも東京市に編入され、内藤新宿町は四谷区域、他の4町は淀橋区となる)を前身とする自治体で、1947年(昭和22年)3月15日に発足した。

栗原吉之助本邸宅があった淀橋区は、東京都新宿区と中野区の境の神田川に架かる青梅街道上の橋が由来である。かつて姿見ずの橋、面影橋などと呼ばれていたが、「淀橋」となった理由にはさまざまな説がある。

①「姿見ずの橋」は中野長者伝説から来たもので、花嫁はこの橋を渡ると行方不明になるという言い伝えがあった。
②姿見ずの橋で休憩していた徳川家光公により、川の流れが緩やかでよどんで見られたので淀橋と名づけた。
③放鷹した際に姿見ずの橋を通った徳川家光公(徳川吉宗公説もある)が橋の名前の由来が不吉であることを知り、風景が京都の淀川に似ていたことから淀橋と改名した。
④豊島郡と多摩郡の境界にあり、両郡の余戸をここに移住させてできた村なので、ここに架かる橋を「余戸橋」と呼ぶようになり、さらに淀橋となった。
⑤柏木、中野、角筈、本郷の4つの村(4戸)の境にあるため「四戸橋」となり、これが淀橋に変化した。

元々は青梅街道の南側に広がる農村であったが、新宿駅の発展とともに、駅周辺を中心とする繁華街が形成された。さらに、1960年代後半以降の淀橋浄水場跡の開発(新宿副都心計画)により超高層ビルが林立する街となった。1990年、東京都庁もこの地に移転し、現在では副都心と呼ばれる。1932年(昭和7年)に発足した旧・淀橋区には、現在の新宿駅東口一帯、および大久保から落合にかけての一帯が含まれる。
 
【 沿革 】
≪1932年(昭和7年)10月1日≫
淀橋町、大久保町、戸塚町、落合町が東京市に編入し、淀橋区が発足。区役所は、柏木五丁目383番地(現在は東京都中央卸売市場淀橋市場東京都事務所が所在)に設置。
≪1943年(昭和18年)7月1日≫
東京都制施行により東京都淀橋区となる。
≪1944年(昭和19年)≫
区役所を西大久保一丁目458番地へ移転。
≪1947年(昭和22年)3月15日≫
四谷区・牛込区との合併により新宿区が発足し、淀橋区が廃止となる。

※画像:栗原吉之本邸表札(淀橋区柏木一丁目一三五番地)


■ 栗原グループ
62年不動産賃貸業の柏興業有限会社設立、96年ホテル事業の株式会社セリアコーポレーション設立、97年ホテルローズガーデン新宿を開業、03年割烹栗吉をホテルローズガーデン新宿の隣接地にオープン、08年ホテルローズガーデン新宿 別館を開業、ガーデン付きレストラン・宴会場をオープン、15年割烹 栗吉をホテル新館建設のため閉店、17年ホテルローズガーデン新宿新館を開業、17年ガーデン付きフレンチ・イタリアンレストラン「In the Garden135」をオープン、17年3月日本料理「栗吉」をホテルローズガーデン新宿新館内にオープン、20年9月栗吉閉店。20年11月日本料理「さくら」をオープン。