遠藤潔の活動報告

第十八代 遠藤宗家 遠藤潔

遠藤武 遠藤宗家第十六代当主

2021年10月28日
遠藤 潔 第十八代遠藤宗家の祖父である遠藤武 第十六代当主遠藤宗家(士族)は、陸軍省近衛捜索連隊補充隊下士官、東京都財務局公吏等を歴任した。

東京都の歴史は、1867年11月9日(慶応3年旧暦10月14日)の徳川慶喜公による大政奉還と1868年1月3日(慶応3年旧暦12月9日)の王政復古のクーデターによって江戸幕府が崩壊し、同年5月3日(慶応4年(明治元年)旧暦4月11日)の江戸城開城によって江戸は新政府の支配下に入った。7月1日(旧暦5月12日)新政府は江戸府を設置し、9月3日(旧暦7月17日)に江戸が東亰(後に東京)と改称されると、江戸府も東京府と改称された。1869年(明治2年)に明治天皇が皇居(東京城、旧江戸城)に入ると、東京は近代日本の事実上の首都となった。

1886年(明治19年)5月江戸は江戸府となり、7月には東京府と改称され、翌8月大和郡山藩上屋敷を接収して東京府庁が開庁した。 明治4年には廃藩置県により東京府は京都府、大阪府と共に三府(首都あるいはその代替地)の一つとされた。1889年(明治22年)に東京府内15区を東京府から分立して市制を施行し東京市とした。

同年に新府庁舎の新築が始まり、1894年(明治27年)麹町区有楽二丁目一番地(高知藩主山内土佐守屋敷跡)にフランス近世ルネッサンス様式の二階建て煉瓦館が建築された。(設計:妻木頼黄工学博士)府庁舎正面玄関の背後屋上には、ローマ数字一面文字板の洋風時計が設置された。文字板直径約四尺、時打ち装置を持たないシンプルな機構だった。

江戸・東京の繁栄と発展の基礎を築いた太田道灌公は、遠藤 潔 第十八代遠藤宗家の祖母方の縁戚であり、遠藤寛第十七代当主の従兄弟である太田資和氏の祖先で、室町時代の武将である。1920年(大正9年)東京府庁舎の正面玄関前には、太田道灌公と徳川家康公の銅像が設置された。

1943年(昭和18年)4月8日読売新聞の記事には「東京府庁の正面玄関で決戦下の大東京を睨んでいた太田道灌と徳川家康の銅像が、こんど銅像仲間に率先して勇ましく出陣した。両銅像とも約170貫である」とある。渡辺長男(1874年-1952年)作の徳川家康像は、1920年(大正9年)7月に東京府庁舎に設置されたが、第二次世界大戦中に戦時供出によって徴収され、代替品として石膏レプリカが設置されるも1945年(昭和20年)の東京大空襲によって焼失した。同作者による太田道灌像も同じく1920年(大正9年)府庁舎に設置されたが、戦時供出とレプリカ焼失による戦災に遭った。

戦後、渡辺の実弟である朝倉文夫(1883年-1964年)によって太田道灌像は1952年(昭和27年)に再制作され、開都記念五百年にあたる1956年(昭和31年)江戸城(皇居)の方角を向く形で、旧東京都庁第一庁舎前(丸の内都庁舎)に設置された。1991年(平成3年)都庁が新宿区へ移転したことに伴い、1997年(平成9年)丸の内都庁舎跡地に建てられた東京国際フォーラムの中に移設され、太田道灌像だけが残された。

※画像:東京府庁の正面玄関で決戦下の大東京を睨んでいた太田道灌と徳川家康の銅像
    読売新聞記事(昭和18年4月4日)


■ 遠藤武
(1876年(明治9年)6月4日-1993年(平成5年)年8月15日)、遠藤宗家第十六代当主。高徳寺檀家。院号:雲光院盆誉武徳居士。士族、陸軍省近衛捜索連隊補充隊下士官、東京都財務局公吏等を歴任。40年7月近衛捜索連隊(東京駒場)発令、近衛混成旅団騎兵中隊を改編。近衛師団隷属。近衛第2師団編成後は同師団に隷属、39年捜索第35連隊(旭川/東京大橋)騎兵第7連隊補充隊で編成下令、41年近衛捜索連隊補充隊配属、43年第七方面野戦貨物廠、45年下士官、46年帰還、南十字星 南方野戦貨物廠戦友会。67年東京都退庁。