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遠藤 潔
遠藤潔の活動報告
黒川光博 虎屋第十七代当主・社長
2016年07月05日
虎屋第十七代当主である黒川光博社長は、チョコレート同様に和菓子が世界で親しまれるためには「ようかんを世界へ」という意識を社員と共有したことで、モチベーションの向上にになった。外国の方にどうやって和菓子に親しんでいただけるか、どう説明したら理解していただけるかを考えることは、社員の一段のやる気にもつながっていると述べた。
虎屋は、室町時代後期、京都で創業した。後陽成天皇の御在位中(1586〜1611年)から御所の御用を勤めていたという記録が残っている。明治2年の東京遷都の折、京都店は東京に移転した。店主は代々黒川家の人間が務め、黒川社長で十七代目となる。
黒川社長は、虎屋経営に黒川家の人間は一代に一人しかこの会社に入らないという不文律があるのも特徴だとした。同じ代に兄弟、家族、親類縁者は誰もおらず、現在は息子がいるだけと語った。
古いしきたりでいえば、京都に毘沙門天のお像が祭っておりが、代が替わる時だけ当主が一人で厨子の扉を開いて拝む。その時にひとつの覚悟を持ち、「この瞬間から自分の代だ。何の制約もないのだから、自分の信念に基づいてしっかりやれよという意味で社是・社訓はないのだ」と感じるという。
虎屋は社是、社訓などがなく、九代目当主が1805年に書いた「掟書」が残っている。そこには「天正年間(1573〜1592)にあった掟書を書きあらためた」と書いてある。15条から成っており、「働く者の心得」として、「女性やお子様のお客様にはより丁寧に接するように」「噂話をこちらから言ってはいけない」と接客の心得や「将来独立することもあろうから、つねに勉強を怠らないように」という呼びかけもある。基本的な姿勢や考え方は、今の時代にも十分通用すると黒川社長は語った。
■ 黒川光博
43年東京生まれ。学習院大学法学部卒業後、富士銀行(現みずほ銀行)勤務を経て69年株式会社虎屋入社、91年代表取締役社長。全国和菓子協会会長、全日本菓子協会副会長、一般社団法人日本専門店協会顧問等を務める。
虎屋は、室町時代後期、京都で創業した。後陽成天皇の御在位中(1586〜1611年)から御所の御用を勤めていたという記録が残っている。明治2年の東京遷都の折、京都店は東京に移転した。店主は代々黒川家の人間が務め、黒川社長で十七代目となる。
黒川社長は、虎屋経営に黒川家の人間は一代に一人しかこの会社に入らないという不文律があるのも特徴だとした。同じ代に兄弟、家族、親類縁者は誰もおらず、現在は息子がいるだけと語った。
古いしきたりでいえば、京都に毘沙門天のお像が祭っておりが、代が替わる時だけ当主が一人で厨子の扉を開いて拝む。その時にひとつの覚悟を持ち、「この瞬間から自分の代だ。何の制約もないのだから、自分の信念に基づいてしっかりやれよという意味で社是・社訓はないのだ」と感じるという。
虎屋は社是、社訓などがなく、九代目当主が1805年に書いた「掟書」が残っている。そこには「天正年間(1573〜1592)にあった掟書を書きあらためた」と書いてある。15条から成っており、「働く者の心得」として、「女性やお子様のお客様にはより丁寧に接するように」「噂話をこちらから言ってはいけない」と接客の心得や「将来独立することもあろうから、つねに勉強を怠らないように」という呼びかけもある。基本的な姿勢や考え方は、今の時代にも十分通用すると黒川社長は語った。
■ 黒川光博
43年東京生まれ。学習院大学法学部卒業後、富士銀行(現みずほ銀行)勤務を経て69年株式会社虎屋入社、91年代表取締役社長。全国和菓子協会会長、全日本菓子協会副会長、一般社団法人日本専門店協会顧問等を務める。