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遠藤潔の活動報告
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遠藤 潔
遠藤潔の活動報告
水戸御祭禮行
2021年11月14日
遠藤 潔 第十八代遠藤宗家の先祖である甲賀武士に所属する「鉄砲百人組」は、徳川将軍家の親衛隊の一つで、若年寄支配下(設立当初は老中支配、寛政の改革後に若年寄支配)にあった。甲賀武士である遠藤宗家は、江戸幕府成立後に近江国甲賀郡から青山百人町甲賀屋敷(後に千駄ヶ谷甲賀屋敷)に移住、権田原に鉄砲場を拝領し、大手三門の警備を担当した。
「鉄砲百人組」の職務は、平時は江戸城大手三之門の番所(現存の「百人番所」)に詰め、各組交替で三之門の警衛を行っており、将軍が将軍家両山(上野寛永寺、芝増上寺)、日光東照宮等の参詣や鷹狩りの際、警護を担うことにあった。
元和2年(1616年)の徳川家康公の没後、相次いで諸大名によって各地に家康公を祀るための神社・東照宮が建てられた。水戸徳川家・初代頼房公によって、元和7年(1621年)水戸東照宮は創建され、江戸時代を通じて大規模な祭礼行列が執り行われた。各町の意匠を凝らした山車、華麗な引物・屋台などの活気溢れる水戸の町並みや華やかな祭礼行列は、江戸の文化を大きく華開させた。
江戸時代の武士の衣装や鎧姿で街中を練り歩く「水戸御祭禮行列」がおよそ100年ぶりに水戸市で行われ、沿道に訪れた人たちが写真を撮るなどして楽しんだ。この行列は、大正時代まで続いていたが、途絶えていた。今年は、旧水戸城の正門や物見櫓の復元記念事業が完了し、およそ100年ぶりに行われることになった。午前10時半頃から、300人余りの行列が旧水戸城の跡地を出発した。
鎧や直垂という武士の衣装を身につけた人達が、水戸市中心部のおよそ1キロメートルの道のりを厳かに練り歩いた。また、正保3年(1646年)頼房公より水戸東照宮に奉納された大神輿も披露され、八角形の特徴的な形に沿道に訪れた人が見入っていた。水戸東照宮の宮本章宮司は「感激のいたり。昔は北関東随一の祭りと言われていた」と語った。
※画像:水戸東照宮
【 水戸東照宮の概要 】
所在地:茨城県水戸市宮町2-5-13
主祭神:徳川家康公、徳川頼房公
社格等:県社・別表神社
創 建:元和7年(1621年)
別 名:東照宮(正式名)
例 祭:4月17日(御神幸)
■ 遠藤宗家
第五十代 桓武天皇を祖としながらも皇室を離れ、臣籍降下により平姓を賜る。遠藤姓の始まりは、遠江守(とおとうみのかみ=遠江国の国司の長官)に就任した藤原氏から起こったとされる。家紋は左三つ巴紋であり、「巴(ともゑ)」の起りには、武具である弓を射る時に使う鞆(とも)を図案化したもので、鞆絵とされている。その後、水が渦巻いているのに似通っているため、巴の字を当てたとされる。そのため、防火のまじないとされ、平安期の末期ごろから鎧瓦(軒先に葺く瓦)、車輿、衣服の文様に用いられた。遠藤左太夫を始祖とする遠藤宗家(旗本)は、甲賀百人武士。徳川将軍家 直参御目見得。明治元年(1868年)の明治維新以降、華族令の制定により明治十七年(1884年)に士族となり、第十五代当主遠藤榮(宮内庁 大正天皇侍従)を経て、第十六代当主遠藤武(陸軍省 近衛師団下士官・東京都 財務局公吏)、第十七代当主遠藤寛(辯護士)に至る。
「鉄砲百人組」の職務は、平時は江戸城大手三之門の番所(現存の「百人番所」)に詰め、各組交替で三之門の警衛を行っており、将軍が将軍家両山(上野寛永寺、芝増上寺)、日光東照宮等の参詣や鷹狩りの際、警護を担うことにあった。
元和2年(1616年)の徳川家康公の没後、相次いで諸大名によって各地に家康公を祀るための神社・東照宮が建てられた。水戸徳川家・初代頼房公によって、元和7年(1621年)水戸東照宮は創建され、江戸時代を通じて大規模な祭礼行列が執り行われた。各町の意匠を凝らした山車、華麗な引物・屋台などの活気溢れる水戸の町並みや華やかな祭礼行列は、江戸の文化を大きく華開させた。
江戸時代の武士の衣装や鎧姿で街中を練り歩く「水戸御祭禮行列」がおよそ100年ぶりに水戸市で行われ、沿道に訪れた人たちが写真を撮るなどして楽しんだ。この行列は、大正時代まで続いていたが、途絶えていた。今年は、旧水戸城の正門や物見櫓の復元記念事業が完了し、およそ100年ぶりに行われることになった。午前10時半頃から、300人余りの行列が旧水戸城の跡地を出発した。
鎧や直垂という武士の衣装を身につけた人達が、水戸市中心部のおよそ1キロメートルの道のりを厳かに練り歩いた。また、正保3年(1646年)頼房公より水戸東照宮に奉納された大神輿も披露され、八角形の特徴的な形に沿道に訪れた人が見入っていた。水戸東照宮の宮本章宮司は「感激のいたり。昔は北関東随一の祭りと言われていた」と語った。
※画像:水戸東照宮
【 水戸東照宮の概要 】
所在地:茨城県水戸市宮町2-5-13
主祭神:徳川家康公、徳川頼房公
社格等:県社・別表神社
創 建:元和7年(1621年)
別 名:東照宮(正式名)
例 祭:4月17日(御神幸)
■ 遠藤宗家
第五十代 桓武天皇を祖としながらも皇室を離れ、臣籍降下により平姓を賜る。遠藤姓の始まりは、遠江守(とおとうみのかみ=遠江国の国司の長官)に就任した藤原氏から起こったとされる。家紋は左三つ巴紋であり、「巴(ともゑ)」の起りには、武具である弓を射る時に使う鞆(とも)を図案化したもので、鞆絵とされている。その後、水が渦巻いているのに似通っているため、巴の字を当てたとされる。そのため、防火のまじないとされ、平安期の末期ごろから鎧瓦(軒先に葺く瓦)、車輿、衣服の文様に用いられた。遠藤左太夫を始祖とする遠藤宗家(旗本)は、甲賀百人武士。徳川将軍家 直参御目見得。明治元年(1868年)の明治維新以降、華族令の制定により明治十七年(1884年)に士族となり、第十五代当主遠藤榮(宮内庁 大正天皇侍従)を経て、第十六代当主遠藤武(陸軍省 近衛師団下士官・東京都 財務局公吏)、第十七代当主遠藤寛(辯護士)に至る。