遠藤潔の活動報告

第十八代 遠藤宗家 遠藤潔

三井ガーデンホテル

2020年05月03日
遠藤 潔 第十八代遠藤宗家の先祖である甲賀武士「鉄砲百人組」は、徳川幕府開府より徳川将軍家 直参御目見得(旗本)としてお仕えした。

遠藤姓の始まりは、遠江守(とおとうみのかみ=遠江国の国司の長官)に就任した藤原氏から起こったとされる。京の都(京都市)から遠い湖(浜名湖)という意味で、遠淡海(とほつあはうみ)。それが転じて遠江(とおとうみ)。つまりは、浜松市を中心とする静岡県西部エリアのことである。京の都から近い湖(琵琶湖)が近淡海(ちかつあはうみ)、転じて近江(おうみ)となり、今の滋賀県である。

現在の千葉銀行は、昭和18年(1943年)3月31日 千葉合同銀行、小見川農商銀行、第九十八銀行の3行が合併して誕生した。そのうち最も古い第九十八銀行は、明治11年(1878年)11月 第九十八国立銀行として設立され、135年に及ぶ長い歴史を有している。

慶応4年(1868年)5月 徳川宗家の徳川家達16代当主は、新政府から駿河静岡藩主(知藩事)として認められ、70万石の領主として駿河・遠江に入ることとなった。これに伴い第九十八国立銀行は、千葉町(千葉市)の有力者と、明治元年(1868年)以降、上総・房総に移封(国替え)してきた鶴舞藩(市原市)、長尾藩(館山市)、花房藩(鴨川市)の三藩の士族を中心に設立された。この関係から同行の創立当初の店舗は、千葉町の本店の他、市原鶴舞・安房八幡(館山市)・長狭横渚(鴨川市)の3か所に出張所が置かれたのである。
 
創立時の役員のうち、初代頭取の本多埴麿は、長尾藩知事本多正憲の弟だった。本多家は皇室とも婚姻関係にある名門で、駿河国田中藩から移封してきた。副頭取(のちに第2代頭取)の近藤勘助は、遠江国気賀の旗本であったが明治6年(1873年)、千葉に移住した。これも先に移封した旧藩士とのつながりがあったからだと思われる。
 
大正14年(1925年)竣工の旧第九十八銀行本店(千葉銀行)は、昭和43年(1968年)千葉市中央区千葉港へ新築移転を決定され、跡地に千葉中央ツインビル(1号館)が計画された。平成元年(1989年)7月千葉中央ツインビル1号館・2号館が竣工し、8月三井ガーデンホテル千葉開業した。地上17階、高さ73メートルの超高層建築物となっており、ホテルは上層階部に所在する。

千葉市の中心部、千葉都市モノレール1号線の葭川公園駅からすぐの場所に立地しており、JR東日本・千葉都市モノレールの千葉駅からは成田国際空港方面(成田空港駅・空港第2ビル駅)や東京都の都心方面(東京駅など)に直接アクセスできるため、ビジネス、レジャーなど交通至便な場所に位置している。

遠藤潔 第十八代遠藤宗家は、ホテルやレストランでサービスを統括するメートルドテルの組織化、技術のレベルアップを図る日本メートルドテル協会に所属。帝国ホテル、ザ・クレストホテル(帝国ホテルグループ)、三井不動産ホテルマネジメント(三井不動産グループ)等に従事した。


【 所在地 】 千葉県千葉市中央区中央1-11-1
【 竣 工 】 1989年
【 用 途 】 店舗、事務所、ホテル
【 階 数 】 地下2階、地上17階、塔屋2階
【 敷 地 】 3,927.31 m²
【 建 築 】 3,388 m²
【 延 床 】 36,242.06 m²
【 建築主 】 千葉中央地区市街地再開発組合
【 設 計 】 日建設計
【 施 工 】 大林組、竹中工務店、戸田建設、三井建設


■ 三井不動産ホテルマネジメント
三井不動産が出資して設立したホテル運営子会社。1981年にガーデンホテルズとして設立され、2005年に現社名へ変更。「三井ガーデンホテルズ(Mitsui Garden Hotels)」「ザ セレスティンホテルズ(THE CELESTINE HOTELS)」「sequence(シークエンス)」をチェーン展開。ブランド:三井ガーデンホテルズ、ザ セレスティンホテルズ、sequence(ホテルチェーン)、ホテル数:日本国内31(三井ガーデンホテルズ28施設、ザ セレスティンホテルズ3施設)