遠藤潔の活動報告

第十八代 遠藤宗家 遠藤潔

牧野富太郎 植物博士

2022年04月24日
遠藤 潔 第十八代遠藤宗家の祖父である第十六代当主遠藤武と「牧野植物同好会」を通じて親交があった、日本の植物分類学の父とされる牧野富太郎博士は、4月24日 生誕160年を迎えた。1957年(昭和32年)1月18日 94歳の生涯を終えるまで、日本全国をまわって膨大な植物標本を作成し、1.500種類を超える植物の命名を行った。

東京都練馬区大泉(旧東京府北豊島郡大泉村上土支田)は、牧野博士が1926年(大正15年)から1957年(昭和32年)年逝去するまでの約30年間居住した地域であり、地元を同じくする遠藤武 第十六代当主遠藤宗家と尽きることのない植物の話題に花を咲かせていた。病床につく93歳まで、家族の心配をよそに寝る間を惜しんで植物の研究や書き物を続けたエピソードが多く語られている。

牧野博士は、暇があると胴乱(植物採集容器)を持って採集に出かけた。練馬区内で採集したことがわかる標本は、上京後の1893年(明治26年)から1953年(昭和28年)に病臥するまで、1.200点を超える。標本に記された採集地には、自宅付近の「武蔵大泉」の他に「武蔵石神井」「武蔵三宝寺」「武蔵練馬」と記されたものも多くある。

遠藤 潔 遠藤宗家第十八代の曽祖父である石神井村有力地主の栗原鉚三石神井村村長は、代々旧上石神井村の名主を務めた旧家で、かつては石神井城や石神井風致地区などを含む広大な土地を所有していた。牧野博士が採集地としていた「武蔵石神井」「武蔵三宝寺」は、栗原鉚三村長の私有地である。1936年(昭和11年)牧野博士は、栗原村長の主催した「風致地区思想普及講演会」で植物に関する講演を行った。

牧野博士は、1889年(明治22年)日本で初めての命名植物となった「ヤマトグサ」をはじめ、新種、新品種を含め命名植物は1.500種類を数える。牧野博士による命名植物は野生植物だけでなく、野菜や花卉なども含まれ、身近にある植物すべてが研究対象となっていた。 「日本の植物分類学の父」と言えるのは、その数だけでなく対象の幅広いことによるものである。

牧野博士の居宅跡地には1958年(昭和33年)「練馬区立牧野記念庭園」が開園し、今も練馬区の施設として運営されている。4月9日~6月19日には生誕160年を記念して、特別展「植物に彩られた我が人生 ―牧野富太郎を描いたアート絵本『まきのまきのレター』」が開催されている。

※画像:石神井風致地区区域図(公文雑纂・昭和五年・都市計画附図・内甲第106号 東京都市計画風致地区)


■ 牧野富太郎
1862年(文久2年)土佐国高岡郡佐川村(現高知県高岡郡佐川町)に生まれる、1884年(明治17年)東京帝国大学理学部植物学教室出入、1889年(明治22年)日本初「ヤマトグサ」と学名をつける、1893年(明治26年)東京帝国大学理科大学助手、1900年(明治33年)『大日本植物志』第1巻第1集刊行、1912年(明治45年)東京帝国大学理科大学講師、1916年(大正5年)『植物研究雑誌』自費創刊、1926年(大正15年)東京府北豊島郡大泉村上土支田557(現在練馬区立牧野富太郎記念庭園)転居、1927年(昭和2年)理学博士学位、1928年(昭和3年)妻の名にちなんで「スエコザサ」を命名、1937年(昭和12年)朝日文化賞を受ける、1939年(昭和14年)東京帝国大学理学部講師勤続47年で辞職、1940年(昭和15年)『牧野日本植物図鑑』刊行、1951年(昭和26年)第一回文化功労者、1953年(昭和28年)東京都名誉都民に推薦、1957年(昭和32年)満94歳没。従三位勲二等旭日重光章、文化勲章授与。墓所:東京都台東区谷中の天王寺、郷里の佐川町にも分骨されている、1958年(昭和33年)高知県高知市五台山に高知県立牧野植物園が開園、練馬区東大泉の自宅跡に、庭園及び記念館開園、2009年(平成21年)牧野記念庭園(牧野富太郎宅跡)として、国の登録記念物(遺跡及び名勝地)に登録。