遠藤潔の活動報告

第十八代 遠藤宗家 遠藤潔

山田雄司 三重大学教授

2022年07月01日
三重大学国際忍術研究センター副所長の山田雄司三重大学教授は、忍者の里として知られる甲賀市で、江戸時代の延享5年(1748年)に書き写されたとみられる忍術書「間林清陽」の写本が新たに発見されたことについて「忍術は当時の科学。江戸時代の最先端の知恵・道具が、そこに組み込まれている。そうしたことが他の忍術書と比較して分かってくる」と語った。

「間林清陽」には、「延享五辰ノ年」延享5年(1748年)の記載がある。「万川集海」の成立が延宝4年(1676年)であることから、それよりも約70年後の写本ということになる。本来、「間林清陽」が「万川集海」のもととなった忍術書であるとするならば、「間林清陽」の成立は1676年以前と考えられるため、今回発見されたこの「間林清陽」は後世に書き写された写本であると考えらる。「間林清陽」の表紙には「軍法間林清陽巻中」と書かれており、上巻と下巻が存在することが推定される。

「間林清陽」の中には、48箇条の忍術が記載されており、「万川集海」と類似する内容も散見される。まきびしの作り方や夜に刀を使う場合の注意点など、忍者の具体的な戦術について、記されている。山田雄司教授は「非常に面白いと思ったのは、犬をほえさせない方法。手に『鬼』と書いて犬に見せる」と記載内容の一部を紹介した。

記載されている主だった忍術の例は次の通り(内容は意訳)

一、万見立習之事
第一にその国の風俗や大将、侍達の気質を知ること。その国の道筋、方角、地形などあらゆることについて知っておくこと。
一、人数不散習之事
複数名で忍び入るときは、手を取りあうか、または帯に糸をつけるか、または時々合言葉を使う。入る時と出る時は特に合図が第一である。
一、大勢ニ被取籠時ノ習
もし敵に見つかって、知略も敵わずに討たれるときは、二人でも三人でも1つに固まって、太刀の先を並べて、敵の右へ右へと切りかかり、敵を一丸となって討つとよい。
一、杖拵様之事
 杖は半分より下を鉄にする。但し二筋にして、その継ぎ目を鉄にて要にして、通常時は畳んでおいて杖に用いる。また、使用する時は広げれば扇の形になる。これも盾になる。
一、菱并横村之事
菱は古い竹を細く割って、三角でも四角でも結び、どのように投げても一角は上になるように菱を結ぶ。敵が追って出てくる道に撒き捨てておけば、敵はこれを踏み立てる。「横村」は、敵が来る道に、材木でも茨でも石などを切り捨て置くとよい。これはみな知略である。

甲賀・伊賀49流の忍術をまとめたという忍術書「万川集海」は甲賀市の指定文化財で、日本遺産「忍びの里伊賀甲賀~リアル忍者を求めて~」の構成文化財にもなっている忍術書。この「万川集海」の冒頭「凡例」には「この万川集海は、初めから終わりまで「間林精要」の要点をまとめて用いて、伊賀・甲賀11人の忍者が秘匿していた忍術や忍器のうち、時代に合わないものを捨て、合うものを選んでまとめたもの」と記載されている。この「間林精要」は、「万川集海」のもととなった忍術書であるといえる。

■ 山田雄司
三重大学教授、日本中世史専攻、博士(学術)、遠藤総合研究所歴史顧問、遠藤宗家甲賀百人武士研究員。91年京都大学文学部史学科卒業、京都府亀岡市史編纂室を経て、98年筑波大学大学院歴史・人類学研究科史学専攻博士課程修了、「崇徳院怨霊の研究」博士、99年三重大学人文学部講師、01年助教授、07年准教授、11年教授、17年国際忍者研究センター副センター長。