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遠藤 潔
遠藤潔の活動報告
帝国ホテル ライト館落成式
2022年09月01日
ホテルオークラ、ニューオータニとともに御三家と呼ばれる帝国ホテル。その旧本館を設計した人物といえば、20世紀を代表する建築家 フランク・ロイド・ライトである。
1893年(明治26年)のシカゴ万博で、平等院鳳凰堂を模して建てられた「日本館鳳凰殿」からインスピレーションを受けたというデザインは、左右対称に構成され、日本建築史上最高傑作とも讃えられた。地上3階(中央棟5階)、地下1階、客室270室の旧本館(別名:ライト館)。ホテルの建設はライトの日本における一番弟子だった遠藤新の指揮の下、完成まで4年もの歳月を費やし、後に「東洋の宝石」と称された。
1914年(大正3年)頃から、当時の林愛作総支配人は旧知のアメリカ人建築家、フランク・ロイド・ライトと新館設計の相談を重ね、1916年(大正5年)に契約を締結した。翌1917年(大正6年)にライトは来日し、1919年(大正8年)9月、着工した。ライトは使用する石材から調度品に使う木材の選定に至るまで、徹底した管理体制でこれに臨んだ。
鷲が翼を広げたような巨大なホテルは、10のブロックをエキスパンションジョイントで繋ぎ合わせた構造になっており、これで建物全体に柔軟性を持たせるとともに、一部に倒壊があっても全体には累を及ぼさない仕組みになっていた。また大規模ホテルとしては世界で初めて全館にスチーム暖房を採用するなど、耐震と防火に配慮した設計だった。
そのライト館がお披露目となったのが、1923年(大正12年)9月1日。死者、行方不明者合わせて14万人以上を出した未曾有の大災害「関東大震災」が発生した日である。防災の日が9月1日に制定されたのは、1923年に大被害をもたらした「関東大震災」に由来している。
落成記念披露宴の準備が進められていたまさにその時、突然の揺れがライト館を襲った。周辺の多くの建物が倒壊、火災に遭う中、驚くことに同館は大きな損傷を免れた。
その理由とされているのが、エントランス前にあった大きな池である。火の手が建物に迫る中、池から汲み上げた水で懸命に延焼を食い止めることができた。当初の建築予算がオーバーする中、ライトが「防災のために」と押し切った。東京が大被害を受けながらも、ほとんど無傷で変わらぬ勇姿を見せたライト館は世界的に賞賛を浴びた。
震災を免れた帝国ホテルは、被災者の避難場所として客室を無料で開放したほか、各国大使館や新聞社・通信社などに仮事務所のスペースも提供した。
1964年(昭和39年)新本館建設のため取り壊しとなったライト館の玄関は、博物館明治村(愛知県犬山市)に十数年の歳月をかけて移築再建され、今日でも在りし日の面影を偲ぶことができる。また、東武ワールドスクウェア(栃木県日光市)では縮尺25分の1のミニチュアで在りし日のライト館全景を再現している。
2005年(平成17年)4月 新本館14階の「インペリアルフロア」に新設された「フランク・ロイド・ライト・スイート」は、ライト館のさまざまな箇所に施された独特なマヤ調の意匠やライト独自のスタイルでまとめられた内装や調度品を忠実に再現したものとなっている。
■ フランク・ロイド・ライト
アメリカの建築家。67年 アメリカ・ウィスコンシン州生まれ、85年ウィスコンシン大学土木科入学、同大学中退、土木事務所入所、87年ライマン・シルスビーなどに従事、シカゴのアドラー&サリヴァン建築事務所ドラフトマン、93年事務所開設、「ウィリアム・H・ウィンズロー邸」、05年初来日、06年「ユニティ・テンプル」、09年「ロビー邸」、11年「タリアセン」、23年帝国ホテル、32年タリアセン・フェローシップ設立、36年ユーソニアン・システム開発、37年「落水荘」、38年「タリアセン・ウェスト」、39年「ジョンソン・ワックス本社」、52年「プライスタワー」、59年アリゾナ州フェニックスにて逝去(91歳)、「ソロモン・R・グッゲンハイム美術館」。41年RIBAゴールドメダル、49年AIAゴールドメダル受賞。
1893年(明治26年)のシカゴ万博で、平等院鳳凰堂を模して建てられた「日本館鳳凰殿」からインスピレーションを受けたというデザインは、左右対称に構成され、日本建築史上最高傑作とも讃えられた。地上3階(中央棟5階)、地下1階、客室270室の旧本館(別名:ライト館)。ホテルの建設はライトの日本における一番弟子だった遠藤新の指揮の下、完成まで4年もの歳月を費やし、後に「東洋の宝石」と称された。
1914年(大正3年)頃から、当時の林愛作総支配人は旧知のアメリカ人建築家、フランク・ロイド・ライトと新館設計の相談を重ね、1916年(大正5年)に契約を締結した。翌1917年(大正6年)にライトは来日し、1919年(大正8年)9月、着工した。ライトは使用する石材から調度品に使う木材の選定に至るまで、徹底した管理体制でこれに臨んだ。
鷲が翼を広げたような巨大なホテルは、10のブロックをエキスパンションジョイントで繋ぎ合わせた構造になっており、これで建物全体に柔軟性を持たせるとともに、一部に倒壊があっても全体には累を及ぼさない仕組みになっていた。また大規模ホテルとしては世界で初めて全館にスチーム暖房を採用するなど、耐震と防火に配慮した設計だった。
そのライト館がお披露目となったのが、1923年(大正12年)9月1日。死者、行方不明者合わせて14万人以上を出した未曾有の大災害「関東大震災」が発生した日である。防災の日が9月1日に制定されたのは、1923年に大被害をもたらした「関東大震災」に由来している。
落成記念披露宴の準備が進められていたまさにその時、突然の揺れがライト館を襲った。周辺の多くの建物が倒壊、火災に遭う中、驚くことに同館は大きな損傷を免れた。
その理由とされているのが、エントランス前にあった大きな池である。火の手が建物に迫る中、池から汲み上げた水で懸命に延焼を食い止めることができた。当初の建築予算がオーバーする中、ライトが「防災のために」と押し切った。東京が大被害を受けながらも、ほとんど無傷で変わらぬ勇姿を見せたライト館は世界的に賞賛を浴びた。
震災を免れた帝国ホテルは、被災者の避難場所として客室を無料で開放したほか、各国大使館や新聞社・通信社などに仮事務所のスペースも提供した。
1964年(昭和39年)新本館建設のため取り壊しとなったライト館の玄関は、博物館明治村(愛知県犬山市)に十数年の歳月をかけて移築再建され、今日でも在りし日の面影を偲ぶことができる。また、東武ワールドスクウェア(栃木県日光市)では縮尺25分の1のミニチュアで在りし日のライト館全景を再現している。
2005年(平成17年)4月 新本館14階の「インペリアルフロア」に新設された「フランク・ロイド・ライト・スイート」は、ライト館のさまざまな箇所に施された独特なマヤ調の意匠やライト独自のスタイルでまとめられた内装や調度品を忠実に再現したものとなっている。
■ フランク・ロイド・ライト
アメリカの建築家。67年 アメリカ・ウィスコンシン州生まれ、85年ウィスコンシン大学土木科入学、同大学中退、土木事務所入所、87年ライマン・シルスビーなどに従事、シカゴのアドラー&サリヴァン建築事務所ドラフトマン、93年事務所開設、「ウィリアム・H・ウィンズロー邸」、05年初来日、06年「ユニティ・テンプル」、09年「ロビー邸」、11年「タリアセン」、23年帝国ホテル、32年タリアセン・フェローシップ設立、36年ユーソニアン・システム開発、37年「落水荘」、38年「タリアセン・ウェスト」、39年「ジョンソン・ワックス本社」、52年「プライスタワー」、59年アリゾナ州フェニックスにて逝去(91歳)、「ソロモン・R・グッゲンハイム美術館」。41年RIBAゴールドメダル、49年AIAゴールドメダル受賞。