遠藤潔の活動報告

第十八代 遠藤宗家 遠藤潔

栗原秀雄 栗原家当主

2016年11月05日
遠藤 潔 遠藤宗家第十八代の親戚である栗原秀雄 栗原家当主は、代々旧上石神井村の名主を務めた旧家で、かつては石神井城や石神井風致地区などをふくむ広大な土地を所有していた。そのことから、遠藤宗家第十八代 遠藤 潔の曽祖父である栗原鉚三 栗原家当主が石神井村村長等を歴任し、現在の練馬区の基礎を構築した。

石神井村は、石神井川に沿うように各地から旧石器時代の遺物が発掘されており有史以前から活動の盛んな地域であった。特に三宝寺池南岸には旧石器時代から室町時代にまでおよぶ遺跡群が集中しており、古くからの地域拠点であったと考えられている。

しかし、南北朝時代に豊島氏の支配が及ぶまで、史料上の記録は乏しい。1349年(貞和5年)に石神井郷は豊島氏の支配を受けるが、1368年(応安元年)武蔵平一揆の乱に敗れて関東管領上杉憲顕に所領を没収され、1395年(応永2年)に還補された。この頃から、石神井城が築かれ豊島氏の本拠となったと考えられている。

石神井城は1477年(文明9年)長尾景春の乱のさなか、遠藤宗家第十七代当主 遠藤寬の母方の従兄弟である太田資和の祖先で、室町時代の武将である太田道灌に攻められて落城した。一帯は上杉氏・後北条氏のもと太田氏の所領となり、その後は徳川氏の領有となる。文禄年間に谷原、田中、石神井、関の4村に分かれ、その後正保年間までに石神井村は上下2村に分かれ、さらに1784年(天明4年)に竹下新田が開墾される。江戸時代を通じて幕府直轄領であり、明治維新後は品川県を経て東京府の所轄となる。

栗原家の由緒は、下総国葛飾郡栗原郷(現在の千葉県船橋市)に存在した藩である。かつて桓武平氏流 千葉氏 高城氏の支城であった小栗原城及び藩主であった。領地は、成瀬氏の菩提寺のあった宝成寺の周辺(船橋市西船から本中山一帯)と推定される。


【 栗原家代表エリア 】

◆ 栗原家長屋門
明治初期の建築と伝えられ、桁行7間(約12.7m)、梁間2間(約3.6m)入母屋造り、トタン葺き(当初は、茅葺き)で、軒を深く突き出した「せがい造り」は当家の高い格式を示す。現在も石神井公園の歩行ルートとして、栗原家長屋門が練馬区観光協会ガイドマップに掲載されている。

◆ 石神井城
平安期以来、武蔵の名族として名を馳せていた豊島氏は室町時代中期、新興勢力の扇谷上杉氏家宰太田氏と対立を深め、長尾景春の乱において遠藤宗家第十七代当主 遠藤寬の母方の従兄弟である太田資和の祖先 太田道灌に攻められ没落した。

◆ 石神井池
昭和九年、栗原鉚三村長の所有する田んぼに三宝寺池の湧水を引いて石神井池(ボート池)を人工的に造られると、ますます行楽地として人々に親しまれるようになった。


■ 栗原秀雄
栗原家当主、イケブチ社長。代々旧上石神井村の名主として、石神井公園一帯を管理・運営をしている。