トップページ
プロフィール
基本理念
活動報告
資料
お問い合わせ
トップページ
>
遠藤潔の活動報告
2023年度
2022年度
2021年度
2020年度
2019年度
2018年度
2017年度
2016年度
遠藤 潔
遠藤潔の活動報告
髙津克幸 にんべん13代社長
2016年11月02日
にんべんの髙津克幸13代社長は、1699年(元禄12年)に設立し「316年」企業として継続した理由として、途中で養子や親戚が社長を務めることで新しいことに挑戦できた傾向があったと語った。
例えば、江戸時代の天保の頃、銀製の薄板で製造された商品券を大規模に発行したという点では最初の試みと言われている。銀でできているので、一両の30分の1の価値を持ち、いつでも鰹節と交換できる現在のギフト券の先駆けとなった。当時は春にカツオを獲って、秋に鰹節として販売するという季節商売が主流であったが、商品券を発行したことで先にお金が入り、鰹節はあとから出ていくということで、キャッシュも潤沢になり、当時としては画期的な試みだったと述べた。
以降、1964年につゆの素を発売し、1969年にフレッシュパックを発売。当時、濃縮のめんつゆは各メーカーから発売されてるも、鰹節の天然だしを使った商品はなかった。鰹節の天然だしを使えば味が良くなることは分かっていても、技術的な難しさもあって、どのメーカーも製造までに至らなかった。
髙津社長は、鰹節を削ることはいいことだ、鰹節を使ってだしをとるのはいいことだと言っても、それだけでは伝わらない。夫婦共働きなどで時間がなくなっていく時代、いいものを手軽に使えるようにつゆの素やフレッシュパックを開発するといった変化への対応力があったからこそ、にんべんは続いてきたのだとしたうえで、今後も更なる変革が必要であると強調した。
■ 高津克幸
93年横浜高島屋(現高島屋横浜店)入社、96年4月にんべん入社。商品部、営業部、総務部、副社長などを経て09年4月に社長就任。
例えば、江戸時代の天保の頃、銀製の薄板で製造された商品券を大規模に発行したという点では最初の試みと言われている。銀でできているので、一両の30分の1の価値を持ち、いつでも鰹節と交換できる現在のギフト券の先駆けとなった。当時は春にカツオを獲って、秋に鰹節として販売するという季節商売が主流であったが、商品券を発行したことで先にお金が入り、鰹節はあとから出ていくということで、キャッシュも潤沢になり、当時としては画期的な試みだったと述べた。
以降、1964年につゆの素を発売し、1969年にフレッシュパックを発売。当時、濃縮のめんつゆは各メーカーから発売されてるも、鰹節の天然だしを使った商品はなかった。鰹節の天然だしを使えば味が良くなることは分かっていても、技術的な難しさもあって、どのメーカーも製造までに至らなかった。
髙津社長は、鰹節を削ることはいいことだ、鰹節を使ってだしをとるのはいいことだと言っても、それだけでは伝わらない。夫婦共働きなどで時間がなくなっていく時代、いいものを手軽に使えるようにつゆの素やフレッシュパックを開発するといった変化への対応力があったからこそ、にんべんは続いてきたのだとしたうえで、今後も更なる変革が必要であると強調した。
■ 高津克幸
93年横浜高島屋(現高島屋横浜店)入社、96年4月にんべん入社。商品部、営業部、総務部、副社長などを経て09年4月に社長就任。