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遠藤潔の活動報告
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遠藤 潔
遠藤潔の活動報告
日仏会館より理事長御礼状を拝受
2023年12月25日
公益財団法人日仏会館の終身会員である遠藤 潔は、2023年12月25日 公益財団法人日仏会館(以下「日仏会館」)より理事長御礼状を拝受致しました。
日仏会館は、常陸宮正仁親王殿下を総裁に戴き、歴代駐日仏国大使が名誉総裁を務めています。日本経済近代化の祖といわれている渋沢栄一子爵と、著名な詩人でもあった当時の駐日フランス大使ポール・クローデル等によって「日仏両国の協力によって相互の文化研究を行い交流を図り、進んでフランス語並びにフランス科学の普及を図る」を目的として、1924年(大正13年)3月7日に設立され、財団法人として認可されました。
2024年3月に創立100周年を迎える日仏会館は、一貫してこの目的に沿って活動を続け、この間、1953年(昭和28年)に日仏文化協定が締結された際には、日仏会館はその付属書において日仏文化交流の中心機関として指定されました。
1866年(慶応2年)フランス皇帝ナポレオン3世から幕府あてに、1867年(慶応3年)にパリで開催する万博への要請と元首招請について書簡が届いた際、幕府は将軍慶喜公の弟、水戸藩九代藩主徳川斉昭公の18男として生まれた徳川昭武公を名代として派遣しました。14歳の昭武公警護役として水戸藩氏7人が選出された一人に忠義心も強いが頑固な攘夷論者でもある彼らの取りまとめ役として随員(御勘定格陸軍附調役(会計係兼書記))に加えられたのが、尊王攘夷論者であった渋沢栄一子爵でした。算盤に明るく、理財の念に富んでおり、その有能な実業家的手腕も期待されました。
渋沢栄一子爵同様に德川将軍家警護役であった第十八代遠藤潔の先祖である遠藤宗家は、若年寄支配下(設立当初は老中支配、寛政の改革後に若年寄支配)の甲賀武士「鉄砲百人組」に所属していました。徳川将軍家親衛隊の一つである「鉄砲百人組」の職務は、平時は江戸城大手三之門の番所(現存の「百人番所」)に詰め、各組交替で三之門の警衛を行っており、将軍が将軍家両山(上野寛永寺、芝増上寺)、日光東照宮の参詣や鷹狩の際に警護役を担いました。
日仏会館が定められた基準に基づき、日仏会館100周年記念事業への推進に関し積極的に協力し、他の模範となる実績を示した会社、事業所、地域組織、学校などの団体および個人に対し、御礼状の贈呈を行います。
これからも、持続可能な社会の実現のために、社会貢献活動をして参ります。
■ 中島厚志
75年日本興業銀行入行、97年パリ支店副支店長、同支店長、99年パリ興銀社長、00年調査部長、02年みずほ総合研究所執行役員調査本部副本部長兼みずほコーポレート銀行調査部長、03年みずほコーポレート銀行執行役員調査部長兼みずほ総合研究所執行役員調査本部副本部長、04年みずほ総合研究所専務執行役員調査本部長、11年独立行政法人経済産業研究所理事長、20年独立行政法人経済産業研究所コンサルティングフェロー、20年新潟県立大学国際経済学部教授、20年公益財団法人日仏会館理事長、23年新潟県立大学北東アジア研究所長兼国際経済学部教授。
日仏会館は、常陸宮正仁親王殿下を総裁に戴き、歴代駐日仏国大使が名誉総裁を務めています。日本経済近代化の祖といわれている渋沢栄一子爵と、著名な詩人でもあった当時の駐日フランス大使ポール・クローデル等によって「日仏両国の協力によって相互の文化研究を行い交流を図り、進んでフランス語並びにフランス科学の普及を図る」を目的として、1924年(大正13年)3月7日に設立され、財団法人として認可されました。
2024年3月に創立100周年を迎える日仏会館は、一貫してこの目的に沿って活動を続け、この間、1953年(昭和28年)に日仏文化協定が締結された際には、日仏会館はその付属書において日仏文化交流の中心機関として指定されました。
1866年(慶応2年)フランス皇帝ナポレオン3世から幕府あてに、1867年(慶応3年)にパリで開催する万博への要請と元首招請について書簡が届いた際、幕府は将軍慶喜公の弟、水戸藩九代藩主徳川斉昭公の18男として生まれた徳川昭武公を名代として派遣しました。14歳の昭武公警護役として水戸藩氏7人が選出された一人に忠義心も強いが頑固な攘夷論者でもある彼らの取りまとめ役として随員(御勘定格陸軍附調役(会計係兼書記))に加えられたのが、尊王攘夷論者であった渋沢栄一子爵でした。算盤に明るく、理財の念に富んでおり、その有能な実業家的手腕も期待されました。
渋沢栄一子爵同様に德川将軍家警護役であった第十八代遠藤潔の先祖である遠藤宗家は、若年寄支配下(設立当初は老中支配、寛政の改革後に若年寄支配)の甲賀武士「鉄砲百人組」に所属していました。徳川将軍家親衛隊の一つである「鉄砲百人組」の職務は、平時は江戸城大手三之門の番所(現存の「百人番所」)に詰め、各組交替で三之門の警衛を行っており、将軍が将軍家両山(上野寛永寺、芝増上寺)、日光東照宮の参詣や鷹狩の際に警護役を担いました。
日仏会館が定められた基準に基づき、日仏会館100周年記念事業への推進に関し積極的に協力し、他の模範となる実績を示した会社、事業所、地域組織、学校などの団体および個人に対し、御礼状の贈呈を行います。
これからも、持続可能な社会の実現のために、社会貢献活動をして参ります。
■ 中島厚志
75年日本興業銀行入行、97年パリ支店副支店長、同支店長、99年パリ興銀社長、00年調査部長、02年みずほ総合研究所執行役員調査本部副本部長兼みずほコーポレート銀行調査部長、03年みずほコーポレート銀行執行役員調査部長兼みずほ総合研究所執行役員調査本部副本部長、04年みずほ総合研究所専務執行役員調査本部長、11年独立行政法人経済産業研究所理事長、20年独立行政法人経済産業研究所コンサルティングフェロー、20年新潟県立大学国際経済学部教授、20年公益財団法人日仏会館理事長、23年新潟県立大学北東アジア研究所長兼国際経済学部教授。