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遠藤 潔
遠藤潔の活動報告
栗原吉之助 西新宿四大地主
2024年04月03日
遠藤 潔 第十八代遠藤宗家の親戚である栗原吉之助 栗原家当主は、東京都西新宿八丁目の四大地主として、新宿区の発展に寄与した。
西新宿の名の由来は新宿区の新宿地区の西、若しくは新宿駅の西に位置することからであるが、この名称になったのは1970年(昭和45年)の住居表示が実施されてからで、それ以前この地の大半(西新宿一 - 六丁目)は角筈(つのはず)と呼ばれていた。これはかつての角筈村の範囲、南豊島郡淀橋町発足後は大字角筈の範囲に基づく。また青梅街道の北側(西新宿七 - 八丁目)は柏木(かしわぎ)一丁目と呼ばれていた。これらの地名は、新宿区特別出張所やバス停の名称などに未だに見られる。また、新町(しんまち)・成子(なるこ)町・十二社(じゅうにそう)・辻・幡谷前・豊水・添地町・五十人町といった字(あざ)も過去にみられ、いずれも史跡やバス停などの名称、現地の通称として残っているものもある。
内藤新宿の宿場からもやや離れた当地は、江戸時代は現在の西新宿四丁目に十二社池と熊野神社の滝それに伴う茶屋のほかに屋敷なども見られたが、農村が主体であった。この地域に最初に変化をもたらしたのが1885年(明治17年)の新宿駅の開業である。1889年(明治22年)には、品川線(現:山手線)・甲武鉄道(現:中央本線)のターミナル駅となり、街の発展の礎となった。この鉄路を生かして、1898年(明治31年)には長らくこの街のシンボルであった、淀橋浄水場が完成。これは東京の市中に送る水道水の施設であり、東京における近代水道発祥の地となった。
このころから地方から東京へ移住してきた人も近辺に住み始めるようになったがこれに拍車をかけたのが1923年(大正12年)の関東大震災であり、東京の市内で震災で住居を失った人たちが、広い山の手郊外に土地を求め、住宅が多く立ち並ぶようになり西新宿一帯は山の手の代表的な住宅地となった。
戦後まもなく、東京の街が西へと広がるのと戦後復興の一環として、交通の要所となっていた新宿の街の利便性が注目され、当地に商業施設を集中させる、新宿副都心計画が策定された。それは、駅の至近にあった淀橋浄水場を移転させ、空いた広大な敷地に高層ビル群などを建設し、一大商業エリアにするというものであった。日本が高度経済成長のさなか、まず1965年(昭和40年)に東村山市に浄水場が移転され、1971年(昭和46年)に京王プラザホテルが建設された。この京王プラザホテルを皮切りに200メートル超の高層ビルが建設され街のシンボルとなった。また1960年代を境に、新宿駅周辺の私鉄系のデパート(小田急百貨店・京王百貨店)の建設、都電(都電杉並線)の廃止、新宿駅西口地下広場の建設など駅周辺の再開発もこの街の歴史に触れる際に重要である。
1991年(平成3年)に東京都庁舎が新宿高層ビル群の一角に移転開庁し、ほぼ現在見られる街の姿となった。2000年代以降も駅から離れた地域では、依然として昔からの住居が多く、昭和時代の東京の住宅街の面影を残しているが、ビルの建設や、自治体の再開発計画なども多く、年々これらの面影も薄れてきており、商業地域としての西新宿が年を追うごとに顕在化した。
現在の栗原家は、東京メトロ「西新宿」駅より至近の栗原吉之助本邸宅跡にホテルローズガーデン新宿(本館客室数:101室、開業時期:1997年4月)を運営や不動産事業をしている。創立20周年の節目の年には、新館を開業(客室数:40室、開業時期:2017年3月)し、更なる新宿区の地域発展と日本経済の活性化に貢献している。栗原家当主の栗原吉之助本邸宅跡の表玄関表札(淀橋区柏木一丁目一三五番地、現在:東京都新宿区西新宿八丁目一番三号)は、ホテルローズガーデン新宿のシンボルとして現存している。当時、数千坪の本邸内にあった庭園や社交場(ダンスホール)などは、マスコミ等の話題となった。
※画像:歌川広重の「名所江戸百景」角筈熊野十二社(現在の西新宿四丁目付近にあった池)
■ 栗原吉之助
08年(明治41年)8月生。東京府在籍(東京市外中野町一三五)。資産家。栗原吉五郞、まきの長男。1915年(大正4年)家督相續。叔父巳太郞(明38、8生)、叔母ゑい(同29、1生)は東京府人小林安吉に嫁し叔父金太郞(同34、12生)は同妻ツネ(同33、3生、東京、瀧島政之助妹)を伴ひ分家し叔母きん(同26、1生)も亦分家。
■ 栗原グループ
62年不動産賃貸業の柏興業有限会社設立、96年ホテル事業の株式会社セリアコーポレーション設立、97年ホテルローズガーデン新宿を開業、03年割烹栗吉をホテルローズガーデン新宿の隣接地にオープン、08年ホテルローズガーデン新宿 別館を開業、ガーデン付きレストラン・宴会場をオープン、15年割烹 栗吉をホテル新館建設のため閉店、17年ホテルローズガーデン新宿新館を開業、17年ガーデン付きフレンチ・イタリアンレストラン「In the Garden135」をオープン、17年3月日本料理「栗吉」をホテルローズガーデン新宿新館内にオープン、20年9月栗吉閉店。20年11月日本料理「さくら」をオープン。
西新宿の名の由来は新宿区の新宿地区の西、若しくは新宿駅の西に位置することからであるが、この名称になったのは1970年(昭和45年)の住居表示が実施されてからで、それ以前この地の大半(西新宿一 - 六丁目)は角筈(つのはず)と呼ばれていた。これはかつての角筈村の範囲、南豊島郡淀橋町発足後は大字角筈の範囲に基づく。また青梅街道の北側(西新宿七 - 八丁目)は柏木(かしわぎ)一丁目と呼ばれていた。これらの地名は、新宿区特別出張所やバス停の名称などに未だに見られる。また、新町(しんまち)・成子(なるこ)町・十二社(じゅうにそう)・辻・幡谷前・豊水・添地町・五十人町といった字(あざ)も過去にみられ、いずれも史跡やバス停などの名称、現地の通称として残っているものもある。
内藤新宿の宿場からもやや離れた当地は、江戸時代は現在の西新宿四丁目に十二社池と熊野神社の滝それに伴う茶屋のほかに屋敷なども見られたが、農村が主体であった。この地域に最初に変化をもたらしたのが1885年(明治17年)の新宿駅の開業である。1889年(明治22年)には、品川線(現:山手線)・甲武鉄道(現:中央本線)のターミナル駅となり、街の発展の礎となった。この鉄路を生かして、1898年(明治31年)には長らくこの街のシンボルであった、淀橋浄水場が完成。これは東京の市中に送る水道水の施設であり、東京における近代水道発祥の地となった。
このころから地方から東京へ移住してきた人も近辺に住み始めるようになったがこれに拍車をかけたのが1923年(大正12年)の関東大震災であり、東京の市内で震災で住居を失った人たちが、広い山の手郊外に土地を求め、住宅が多く立ち並ぶようになり西新宿一帯は山の手の代表的な住宅地となった。
戦後まもなく、東京の街が西へと広がるのと戦後復興の一環として、交通の要所となっていた新宿の街の利便性が注目され、当地に商業施設を集中させる、新宿副都心計画が策定された。それは、駅の至近にあった淀橋浄水場を移転させ、空いた広大な敷地に高層ビル群などを建設し、一大商業エリアにするというものであった。日本が高度経済成長のさなか、まず1965年(昭和40年)に東村山市に浄水場が移転され、1971年(昭和46年)に京王プラザホテルが建設された。この京王プラザホテルを皮切りに200メートル超の高層ビルが建設され街のシンボルとなった。また1960年代を境に、新宿駅周辺の私鉄系のデパート(小田急百貨店・京王百貨店)の建設、都電(都電杉並線)の廃止、新宿駅西口地下広場の建設など駅周辺の再開発もこの街の歴史に触れる際に重要である。
1991年(平成3年)に東京都庁舎が新宿高層ビル群の一角に移転開庁し、ほぼ現在見られる街の姿となった。2000年代以降も駅から離れた地域では、依然として昔からの住居が多く、昭和時代の東京の住宅街の面影を残しているが、ビルの建設や、自治体の再開発計画なども多く、年々これらの面影も薄れてきており、商業地域としての西新宿が年を追うごとに顕在化した。
現在の栗原家は、東京メトロ「西新宿」駅より至近の栗原吉之助本邸宅跡にホテルローズガーデン新宿(本館客室数:101室、開業時期:1997年4月)を運営や不動産事業をしている。創立20周年の節目の年には、新館を開業(客室数:40室、開業時期:2017年3月)し、更なる新宿区の地域発展と日本経済の活性化に貢献している。栗原家当主の栗原吉之助本邸宅跡の表玄関表札(淀橋区柏木一丁目一三五番地、現在:東京都新宿区西新宿八丁目一番三号)は、ホテルローズガーデン新宿のシンボルとして現存している。当時、数千坪の本邸内にあった庭園や社交場(ダンスホール)などは、マスコミ等の話題となった。
※画像:歌川広重の「名所江戸百景」角筈熊野十二社(現在の西新宿四丁目付近にあった池)
■ 栗原吉之助
08年(明治41年)8月生。東京府在籍(東京市外中野町一三五)。資産家。栗原吉五郞、まきの長男。1915年(大正4年)家督相續。叔父巳太郞(明38、8生)、叔母ゑい(同29、1生)は東京府人小林安吉に嫁し叔父金太郞(同34、12生)は同妻ツネ(同33、3生、東京、瀧島政之助妹)を伴ひ分家し叔母きん(同26、1生)も亦分家。
■ 栗原グループ
62年不動産賃貸業の柏興業有限会社設立、96年ホテル事業の株式会社セリアコーポレーション設立、97年ホテルローズガーデン新宿を開業、03年割烹栗吉をホテルローズガーデン新宿の隣接地にオープン、08年ホテルローズガーデン新宿 別館を開業、ガーデン付きレストラン・宴会場をオープン、15年割烹 栗吉をホテル新館建設のため閉店、17年ホテルローズガーデン新宿新館を開業、17年ガーデン付きフレンチ・イタリアンレストラン「In the Garden135」をオープン、17年3月日本料理「栗吉」をホテルローズガーデン新宿新館内にオープン、20年9月栗吉閉店。20年11月日本料理「さくら」をオープン。